ちょっと最近鬱っぽかったけど原因が言語化出来た気がするから共有したい
タイトル通りです。
比較的私は毎日ストレス無く過ごしている方だと思うのですが、最近は珍しく気分が落ち込み、何をしても楽しくない・やる気が出ないというような軽い鬱状態に陥っていました。
その経緯と、「なぜそうなったか」、「今後どうしていくか」の分析・言語化を試みます。
まずは打ち切り
「地獄の三十路録」の連載打ち切りが決まりました。理由は単純明快で、単行本1巻の紙の本が売れなかったからです。(連載開始前から1巻の売り上げでどれくらい続けるか決まる、という話でした)
最初聞いたときはもちろんショックでした。
しかし、正直「三十路」は毎話「次のネームの打ち合わせしましょう」と担当から連絡が来るたびに(展開が思いつかな過ぎて)憂鬱な気分になっていたりもしたので、連載終了というのは私にとってある意味解放でもありました。
正直、ショックだったのは「作品が終わること」ではなく、「自分が打ち切り作家になってしまったこと」に対してだったのだと思います。
実績がない新人だと「一か八かこの新人に賭けてみよう」という編集部側の博打でピックアップされることがあります。
というか、今回の「三十路」が完全にそれでした。
結構新人にしては強気な部数を刷っていただいたし、コミックビーム本誌でも前の方に掲載していただいたり、裏表紙に広告を載せてくれたりとかなり推していただいたと思っています。
(だからこそ、その編集部側の期待に応えられなかったのが恥ずかしいやら気まずいやら申し訳ないやらで…。)
要は「経歴がまっさらな新人だと一か八かで思わぬ推され方をされることもあるけど、一度実績が数字として残ってしまうと今後はそれを参考にした部数しか刷られない」ということです。ビジネスなので当然なのですが、作家としては可能性が狭まってしまうということですね。
この事実を前に、「まあまだチャンスはあると思いたい…けど、このまま人気が出ない・数字が取れない作品を二作三作と続けていったらもう漫画家としてやっていけないのでは?大学卒業してそのまま漫画家になっちゃったのに(要は社会経験がないのに)、職歴無しの中年が急に野に放り出されて働けるのか……?」などとどんどん思考がネガティブになり、一気に将来が不安になりました。
でも「三十路」の単行本きっかけに数名の編集さんが声をかけてくださったりもしたので、「ショックだけどまあ切り替えて次の仕事を頑張るしかない😠」くらいに捉えていました。いや、今思うと無理に捉えようとしていたのかもしれません。
おそらくこの時点で本当はダメージを負っていたんですが、「血がドバドバ出ているのに傷を負っていることに気づいていない」みたいな状態だったんだろうと思います。
担当編集が同時期に二人休職、漫画家仲間も体調不良に
ちょっとこれ書いていいのかな…とも思いますが、具体的な話はしないので軽く話しますと、
三十路の打ち切りが確定してからまもなくして、一緒に仕事をしていた担当編集さんが同時期に二人休職されました。
それぞれ全然別の会社の方ですし、それぞれの全く別の理由があってのことだとは思うんですが、ほとんど同時期に連絡が来たのには少しびっくりしました。
それと前後して、普段よく通話をしていた漫画家仲間が体調を崩し、しばらく連絡が取れなくなってしまいました。
私はマジで友達がいないので(あとで詳しく後述しますが)、「色々話せる同業の友達」を一時的に失ってしまったのが結構痛かったです。
同業だと勿論カタギの会社員やってる友達なんかよりはすぐに話が通じるんですが、一方で片方が片方より売れている・あるいは最初は片方の方が売れていたけど追い越された など、そういう方面でのギスギスはどうしても存在します。
なので腹の探り合いなしに衒いなく本音で語れる同業の友達というのは本当に貴重な存在でした。それを打ち切りでショックなときに「誰かに話して共有」が出来なかったのが今思うとちょっと辛かったのかも。
とはいえ友達は友達で私なんかよりはるかに大変な状況だったので、友達に対しては勿論何も思っていません。当たり前のことですが、まずは何より自分の人生第一です。
というかむしろ、大変な状況の友達に「ねえ聞いて~ンこんなことがあってさ~ン…」などと無神経にもたれかかるムーブをしなくて本当に良かったなと思っています。
からの人望のなさ、孤独
仕事もちょっと打ち切り食らって小休止だし、漫画家の友達ともしばらく話せないし、ということで久々に学生時代の友達と会おうと思い立ちました。
しかし友達の一人は知らない間に結婚していたり(別の友達経由で「〇〇結婚したの?」と聞かれてそのことを知る・めっちゃ共通の知人呼んだ結婚式してたのをSNSで知る)、別の友達をご飯に誘っても明らかに乗り気じゃなく数日未読無視されたりなど、まあ要は「あ~私って相手にとって優先順位がめちゃくちゃ低いんだな~」と実感せざるを得ないような出来事がいくつか続きました。
個人的にこれがトドメだったと思います。
今まで打ち切りの傷を見て見ぬふりしていたのが、「あ、私って誰にとってもどうでもいい存在なんだな」と思った瞬間プシュッと全身から血が噴き出るような感覚でした。
しかしこの友達の対応も別にそこまで傷つくようなことではありません。
これだけ些細なことに過剰に傷ついてしまうという時点で、私のメンタルは既にヤバい状態だったのだと思います。
結婚を知らされていなかった友達は2-3年に1回会うか会わないかくらいの付き合いですし、2-3年に会うか会わないかの奴には「まあ言わなくていいか」となるのも当然の判断です。
もう一人の友達も、半年に一回会う程度の関係性。別に忙しい時なんて誰にもありますし、食事をやんわり断られたくらいで過剰に傷つく方がどうかしています。
それに、「今仕事で行き詰ってるから誰かと会いたい!」と急に思っただけで、私も私で常日頃からこの友人たちが頭の中にいる訳ではありません。ほとんど存在を忘れていて、たまにふと思い出す程度です。おそらく相手にとっての私もそれくらいの存在だと思います。
じゃあ何でそんなに傷ついたのか
出した漫画が売れなかった、ということは作家にとってある意味「世界からの否定」です。自分の体重を載せていた作品であればなおさら。
正直「三十路」はそこまで熱が入った作品ではなかったのですが、とはいえ「こういう作品なら売れるだろう」という狙いをある程度持ってやっていたので、その狙いがてんで外れていたというのはちょっとショックでしたし、自信を喪失しました。
要は、仕事で「世界からの否定」を感じてしまい、プライベートで自尊感情を満たそうとしたらそれも出来ないどころか、相手にとっての自分の優先順位の低さ=自分のどうでもよさを思い知ってしまい、尚更「世界から否定された」と感じてしまった。それで過剰に傷つき怒ってしまった、という顛末です。
漫画家って……孤独やん?
ちょっと話がズレますが、友達がいない理由を解説させてください。(どうでもいいよ)
まず私は大卒後そのまま就活もせずに漫画家になっているので、会社員の友達とはどうしても感覚が違うというか、共通の話題がありません。生まれてこの方上司も部下もいないので、職場の人間関係で悩む友達に会社員視点でアドバイスや共感が出来ません。
それは逆に私にとってもそうで、漫画家ゆえのあるあるみたいなのが相手に全く通じません。「ネーム全然通らないんだよね…」など言っても「ネームって何?」というところから始まります。これがまず孤独ポイント①。
そして私は大学進学のために上京し数年東京で過ごした後、コロナ禍で地元にUターン、と住まいをコロコロ変えてしまっています。孤独ポイント②。
なので東京での友達は現在会えませんし、地元の友達も上京時にいったん交流が途絶えてしまっています。
高校生で連絡途絶えてた地元の友達と社会人で急に会うのはハードルが高いし、会ったとて当たり障りのない会話をしてなんとなくチューニングをするだけで終わってしまいます。しかもその「当たり障りのない会話」も、会社員経験のない私とでは共通項を見出すのが中々難しい。学生時代の思い出も、結構時が経った今そこまで盛り上がれません。
今まで人間関係を疎かにしてきた結果だなと思います。
人間も生き物です。植物と同じように定期的に水やりをしないと枯れてしまうんだなと思いました。人間関係の維持に必要なのは、とにかくこまめなやり取りなのだなと思いました。
あと、シンプルに地元の友達も就職で各地に散り散りになり、大学や職場での新しい友達・彼氏などが出来ていたり、そもそも結婚していたりとライフステージも変化しているので、わざわざ大して盛り上がらない私と会うメリットが無いのです。
そして孤独ポイント②とやや重複しますが、地方在住の漫画家だと中々新しい友達が出来ない。これが孤独ポイント③。
まず、漫画家というのは当たり前ですが上司も部下も同期もいません。
強いて言えばアシスタント先の先生が上司に当たり、同じアシスタントが同期に当たるのかもしれませんが、私は絵が下手すぎるのでアシスタント経験もなく…(苦笑い)。
それに、デジタル化が進んだのとコロナ禍もあってか最近はアシスタントもオンラインでのやり取りが基本ですし、昔のような「師匠」「弟子」のような関係性のところはずいぶん減ったのではと思います。業務委託というか、バイトを雇っている感覚に近いのでは。
逆を言えば漫画家は職場の人間関係に悩まされることが基本的にないので、私のような人間からすればメリットの方が大きいんですが、とはいえそのメリットの反動で孤独なのも事実です。
SNSで新しく知り合いを作ろうにも、何かしらのオフ会も基本東京ですし、コミティアなどのイベントで知り合うこともできません。あと編集さんと対面で会うことも基本なし。
まあ年に数回は東京行くんですが、交通費ホテル代馬鹿にならないので「え、来週のコミティア〇〇さん出るんだ、じゃあ挨拶しようかな~」みたいな気軽なノリでは行けません。
「じゃあ何で地方に引っ越したんだよ馬鹿かよ!」とお思いかもしれませんが、引っ越すときはコロナ真っただ中で、今後もどうなるか分からないみたいな状況だったんだって、いやマジで。
以上の理由で東京に戻ろうかとも思うんですが、現在暮らしている地元が住環境としてはめちゃくちゃ住みやすくかなり迷っています。でも知り合い増えないんだよな~。でも今の住んでる家と同じグレードのところを東京で住もうと思ったら家賃アホみたいにするんだよな〜…など、悩みが尽きません。
話が逸れました。漫画家がいかに孤独かを解説しようとしたのに、よく考えたら全部自分のせいでした。(チックショー)
鬱っぽくなった
仕事でもうまくいかず、友達にも軽んじられ(たと私が勝手に思っている)、なんだか急に気分が落ち込むようになっていきました。
前ほど楽しんだり幸せを感じたりすることがなくなり、「誰にとってもどうでもいい存在なら、生きてる意味ないな」とちらちら希死念慮がチラつくようにまで。
まあ本気で死にたいわけじゃなく、「あーあもう消えたいな」とふと思うような漠然とした希死念慮です。
誰しもあるものなのかなあと思いますが、以前の私には一切ありませんでした。それが急に現れ、しかも何かにつけ思うようになりました。
打ち切りになったし、次の仕事を頑張ろうと思うのに・そういうお声がけをいただいているのにやる気が出ない。
以前は連載中でも「次はこれをやりたいな」などアイデアが次々浮かんでいたのに、それも浮かばない。
それに、「家で一人で仕事をして、新しい知り合いも増えず友達は減る一方なのに新しい話なんか思いつく訳がない」などとさらに落ち込むようになりました。まあこれは、どうしようもなく正論でもあるんですが。
「誰にとってもどうでもいい人」という言葉がチラつくようになりました。
「誰にとってもどうでもいい人」とは石田和人さんによる小学館新人コミック大賞の青年部門で入選された漫画のタイトルです。秀逸なタイトルだと思います。
いい漫画なのでまだ未読でしたら是非。
なんというか、開けていたと思っていた世界が本当はどんどん閉じていたことに気づき、強い無力感と孤独感に苛まれました。
「報酬系」が途絶えた
「打ち切りになった」「友達がいない」……まあ確かに辛いことではあるのですが、正直もっと辛いことも経験しているのでこれくらいで自分がここまで鬱っぽくなってしまったのが自分でも意外でした。
何がそこまで鬱につながったのかもっと論理的に分析してみようと考えたとき、「報酬」が途絶えたのが最も大きな原因かなと思いました。
ネットで軽く調べた程度の知識なので間違っていたら恐縮ですが、「報酬系」というのは欲求が満たされた時、あるいは満たされると分かった時に活性化し快感を与える神経回路だそうです。
要は「お腹が空いている」という状態で「食べ物」という報酬を得ると、満足感・幸福感を得る(そういう脳内物質が分泌される)、ということのようです。
思えば私のまんが道は常にこの報酬系と共にありました。
漫画賞の投稿にハマったのも、脚本術などで勉強し改善すると目に見えて上の賞が取れるのが楽しかったからです。
漫画がうまくなればなるほど上の賞を取れる=要は努力に対する報酬が得られる。
私はこれで報酬系が満たされまくって、元々漫画家なんてなるつもりなかったのに漫画賞への投稿に夢中になり、気づけば就活を全くせず、漫画家にならざるを得ない状況になってしまいました。
漫画家になってからも「報酬系」を満たせる出来事は続きました。
最初は読み切りという話だったのに好評につき連載化(報酬系ドバドバ)、アプリでの連載が終わると今度は紙の雑誌で連載が決まる(報酬系ドバドバ)、単行本が2冊出る(報酬系ドバドバ)……。
しかしこの報酬系ドバドバフィーバーもそう長くは続かず、冒頭に記した通り「三十路」は打ち切りになってしまいました。
ここから重版が決まる(報酬系ドバドバ)、実写化が決まる(報酬系ドバドバ)、と続けばよかったんですが、そう世の中甘くないようです。
ここで「報酬」をもらえなくなってしまった私は、モチベーションを著しく失いました。
そしてそれを慌ててほかで補完しようとするも、前述したとおり、今まで疎かにしていた人間関係で補完できるわけもなく…。
そして今後私が立ち向かっていかなければならない、「売れるか・売れないか」という問題は努力に直結しません。めちゃくちゃ練っても売れない作品は売れないし、思い付きで描いたものが不意に大ヒットしたりします。
それこそがこの仕事の面白いところでもあるのですが、「努力がそのまま報酬に繋がらない」と分かり切っている中ではなおさらモチベーションが失われてしまいました。
しかし、やり方はある
以前はただただ漠然とした鬱にどうしていいか分からず悩んでいましたが、この気分の落ち込みは「報酬系」の問題なんだなとなんとなく自分で気づいたとたん活路が見えてきた気がします。
よく考えれば、私は仕事以外でもこの「報酬系」に支配された生活を送っていました。
私は衝動的に爆買いをよくしてしまうのですが、買い物依存症もまた「報酬系」の問題のようです。物(=報酬)が得られる快感がクセになってしまうという理屈のようで、ああ心当たりあるな…と思いました。
私はまだ買い物依存症の域まで達していない(と思いたい)のですが、前々から買い物って金を出すだけで物が得られて気持ちいいな、と思っていました。
まあ金と物の物々交換なので当たり前ではあるんですが、例えばダイエットは長期的な食事制限や運動などでやっと体重減少という報酬を得るわけで、それと比べると金を出すだけでほしいものが得られる買い物のコスパの良さったらないです。(いや、金銭的にはコスパ悪いんですけどね、あくまで報酬系への刺激としての話です)
どうやらADHDの症状で、長期報酬(長期的な努力で得る報酬)よりも短期報酬(すぐに得られる報酬・目先の刺激)を求めて、甘いものを食べすぎたりスマホゲームに課金しすぎたりしてしまうというものがあるそうです。完全に私にもその傾向がありますね。
ただこの傾向を逆手にとってこの鬱っぽい状況から抜け出せるきっかけになるかもなと思いました。
いままでも無意識に短期的な目標を立てる→達成(報酬系ドバドバ)というのを繰り返して日々を過ごしてきたので、またその短期的な目標を(仕事以外で)見つければいいだけの話です。
お恥ずかしい話、漫画家やってるうちにどんどん太ってきているので、これを機にダイエットでもして、そっちの目標達成にとりあえず夢中になってみようかなと考えています。
自力では無理があることは十分分かったので、パーソナルジムを契約しようかなと考えています。
メンクリ行こうか迷うが…
ほぼ人生初の明確な気分の落ち込み。鬱とは所詮脳内物質の問題であるというのは散々Twitterで見かけていたので、それじゃあメンクリで薬もらってさくっと治せばいいや♪なんて気軽に考えていたんですが(もちろんそんな単純な問題じゃないと思いますが…)、どうやらメンクリの通院歴があるとローンの審査や保険に響くようです。
在宅仕事ゆえ、いつかは中古マンション購入して好きにリノベして最高の住居兼仕事場を作るんでい!と前々から夢想していたので、住宅ローン通りにくくなるのは痛い。しかもフリーランスなんて元々通りにくいだろうに…。
あと生命保険はもう入っているのでいいとして、そのうちがん保険も入りたいし…。
など色々考慮した結果、一旦メンクリ通いは保留してみようかなと考えています。上記の「短期目標に没頭し目をそらす」という作戦がうまくいかなかったらやっぱり通うかもしれません。
あとなんか「通院歴も5年で帳消し」という謎ルールも見たので(どういう理屈なのか知りませんが)、どうせ家を買うのは5年後くらいになりそうだし通ってもいいかも、とは思いつつ。
しかし、メンクリといえば予約が取れない(3-4か月待ちとか?)とよく聞きますが、近所だと1か月後とかには取れるようです。クリニックによってはもっとすぐに取れるところもあるかも。
やっぱり今住んでいるとこ、住みやすいんだよな~。
最後に
7000字以上語ってしまってびっくりです。最後まで読んだ人いるんでしょうか。
かなり赤裸々に何でも書いてしまったので消すかもしれませんが、自分ではかなりすっきりしました。
嫌なことがあったらノートに書く??みたいなストレス発散法を聞いたことがありますが、他人に説明するテイで自分のストレスやモヤモヤを言語化すると多少客観視できた気になっていいかもしれないです。ただ躁になっているだけという可能性もありますが。
人生好調なときばかりではないのなんて当たり前なので、うまいこと自分の特性や憂鬱の正体をなんとか把握してうまく付き合っていければいいなと思っています。できるかは分かりませんが。