Twitterがないことによる不満
凍結生活も11日
人間、物事には慣れるもので、熱や酸素や水と違ってTwitterがなくても死にはしないので、日常そのものに大きな変化はない
ただ、Mastdonにしても、noteにしても、フォロイーの存在がないので、不満は大きい
6000のフォロワーを失った事よりも、5000弱のフォロイーを失ったことが非常に痛い
別にビジネスでやってるわけでもないので、フォロワー数はないよりはあった方がいい程度の認識でしかない
以前の記事にも書いたが、基本的にTwitterは情報収集ツールとぼやき、後は人との親善(フォロワーやマシュマロ返信)を深める場所として運用していた
あとは恐らく凍結事由の一つであろう日課の記事共有。これはどちらかというと、何の記事を見たか後で見直す為でもある(これはnoteとMastdonで続けるけど)
Twitterで特に重要視していたのは、情報収集ツールとして速報性に富むこと、専門家の知見に触れやすいこと、そしてミリタリークラスタのお祭りを観測できることの三つ、いずれもTwitterでなければ難しい
それらが一堂に会する場所はFacebookでもInstagramでもMastdonでもTelegram(一応すべてにアカウントがある)でもなく、Twitterだった訳だが、今回凍結で使えなくなった事で、ひとり置いてけぼりを喰らっている
無論、Twitterの検索機能は使えるので、フォロワーを検索すれば後からなにか祭りがあった事くらいは認識できるが、参加できるわけでもなく、ただマジックミラー越しに眺めているだけ
ただでさえ現実社会の不適合者なのに、最後の心の拠り所から爪弾きにされたように感じている
また、報道各社のニュース速報の速報性は高くない事を知っているので、常にワンテンポ情報を知るのが遅くなるのがストレスになっている
辛い毎日を過ごしている、というTwitterが使えない近況報告でした