米津玄師「STRAY SHEEP」に関しての所見メモ
私、定期的にrockin' onさんの音楽文というエッセイ投稿の企画に参加しているのですが、先日米津玄師「STRAY SHEEP」を聴いてこのようなエッセイを投稿しました。
http://ongakubun.com/archives/16676
そのエッセイ投稿用にこうしてnoteに所見を書き殴っていたんですけど、こんな考え方したんだよ~という形で表に出してみても面白いかな、と思ったんで公開してみようと思います。
使った話も使ってない話もあるけど、暇つぶしにでも見て頂ければ。
〇音楽は宗教(生と死)である
・信仰、祈り、みたいなテーマ?
宗教感のあるアルバムというか
〇救い?
・このコロナ禍で、音楽やエンタメは最初にいらなくなるものだと気づいた、と米津自身も言ってる、何よりも最前線であるものは医療だと
・医療に身を置く友人が、音楽やライブがなくなったことに絶望していた
それでも確かに彼女は働いている、今日も現場で戦っている
でも音楽やエンタメは、本当に最初にいらなくなるものなの?
そんな彼女を動かしている確かな原動力だというのに
〇汝が正しいと思うものを信じよ、というか…
・コロナがまだまだ終わらない中、それでも経済を殺すわけにはいかない
動く人も動かない人もきっと正しい、けれど一歩間違えればコロナを広げてしまう
その中で、自分が正しい、と思いながら1つ1つの選択を選んでいくしかない
って米津玄師もインタビューで言ってたね
・「あなたの心が正しいと思うことをしなさい。(どっちにしろ批判されるのだから。)」エレノア・ルーズベルト
〇宗教観を強く感じる理由の1つ、アルバムのいろんな曲から「死」と「生」の匂いがするからだ
・死:カムパネルラ、Lemon、優しい人
・生:感電
〇カムパネルラ
・銀河鉄道の夜、カムパネルラは死んでしまった
・MVのダンサーが黒留袖、紋付袴、車椅子なのなんでだろうな
〇感電
・稲妻のように生きてたいだけ
雷、刹那的なもの
・刹那的な瞬間がずっと続きますように
切なさ、それに相反しながらも同時に存在する連続性
”たった一瞬のこのきらめきを 食べ尽くそう二人でくたばるまで”
全然一瞬で終わらす気なくて笑っちゃう、この歌詞すき
・一瞬の切なさの象徴みたいなもんだよな、遊園地(としまえん)って
・一瞬は終わるから一瞬なのであって
としまえんに関してもなくなっちゃうけど
〇PLACEBO
・”だんだん恋になっていく”っていう表現が美しすぎる
2人の人間の間で互いへの恋慕の想いが少しずつ育っていく様子がものすごく色鮮やかに描かれた表現だと思う
2人の想いが相互に通い合っている状態が初めて恋である、という1つの新しい定義づけだな
恋が育つ、恋に落ちる、なんていう表現に比べてずっと簡単な言葉しか使ってないのにね、なんで今までこの日本語浸透してないんだろう
〇パプリカ
・この曲も生命力感じるよね
サビとかの打楽器とかお囃子感に豊作祭みを感じるからかな
〇優しい人
・傷つくことをマイナスなことだと米津さん自身が思ってない
きっとこの人もたくさん傷ついた時期があったと思うのに
だからこそこの曲を、こんな風なメッセージを内包して歌えるんだろうけど
〇まちがいさがし
・ボコーダー噛ませた声がパイプオルガンの響きに似てる
〇ひまわり
・ゴッホが出てきた、少し前に米津とピカソの話を見たからだ
生命力みたいなものも連想させるあるのかな
〇迷える羊
・讃美歌、ゴスペルなんだよな~サウンドがどう聞いても
・これそもそもなんで迷える羊なのか、
当時馴染みが深かったのはもちろん、人間と羊の習性が近いから
群れで生きる、先導者についていくところはモロにそう
視力が悪い、方向音痴なところも皮肉っぽく人間に近いところはあるよね
羊も知ったかぶりするんだって!おもしろいね
〇TEENAGER RIOT
・バースディソング
〇海の幽霊
・雄大さ、生命の還るところ
・この曲もボコーダーっぽいな、ハモリか?
・この曲で終わらせてもよかったと思うんだ、でもカナリヤを入れた
〇カナリヤ
・「あなただからいいよ」
米津玄師は変わらなければならない、から、変わる事を赦す、になってる
赦す、って言葉いいよね、許す、じゃなくて
・「赦し」の音楽なのかな、このアルバムは
〇結局は「サンタマリア」に帰するな
・米津のメジャーデビュー曲
・サンタマリアという聖母単体の概念から、宗教、信仰、赦し、という広大な概念に進化したイメージ
~記事書いてみて~
宗教やらなんやらの話ってやっぱり難しいな~と思った話。
哲学や宗教の捉え方、考え方って多分人それぞれあって、解釈や理解が違うと言われてしまってもこの手の話って正解がないと思うんですよね。そういうのをいろんな人と討論するのは結構好きだったりする。目から鱗な発想聴けて楽しいので。
なのであくまで私は宗教っていう概念に対して、こういう考え方をしたよ~っていう話を軸で書いたエッセイでした。ただ、知識的に思いっきり間違っているところがあれば後学の為にぜひ教えて下さい。知りたいので。
そもそも調べてて思ったんだけど、この作品の主題になってる「迷える羊」っていう話。これも多分大勢が想定している「このコロナ化の混乱に迷える人間たちの例え」っていう読み解きをすると、元の主題の話とだいぶ私は解釈が違う気がするんですよね。私も初めて知ったんだけど。
大元の「迷える羊」で何が言いたいかっていうのは、調べたところどうも「羊は本来群れで行動する生き物なので、はぐれると死んでしまう。そのはぐれた1匹の羊を救うことが、はぐれていない99匹を救うより大事」っていうとんでもねぇ依怙贔屓の話なんですよね。その他大勢の普通の善人より神の救いの手から零れた悪人を救済せよ、的なことだと私は解釈しました。
「コロナ化に迷える人間たち」って話になると、どっちかってと羊100匹総迷子みたいな話になっちゃう気もするので元のテーマとずれてるような気もしたりしなかったり。
(そう考えると赦しの例に出した仏教もひょっとして宗派によるのか?善人も悪人も須らく救ってくれると思ってたけどどうも違うっぽい。間違ってたら失礼しました。)
そんな事を思ったりしたので、上記のエッセイを書く上でその話は一旦触れずにおきました、という後書きです。