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【科学者#050】カメラを自作するくらい器用で電子工学への扉を開いた科学者【ジョン・フレミング】
科学者には様々なタイプがあり、実験が得意な科学者もいれば、計算が得意な科学者もいます。
そして、手先が器用で自分で実験器具をつくり、多くの発見をした科学者もいます。
第13回目で紹介したロバート・フックや、第16回目で紹介したアントニ・ファン・レーウェンフックも自作の実験器具によって偉大な発見をしています。
今回は、カメラを自作するくらい器用で電子工学への扉を開いた科学者であるジョン・フレミングを紹介します。
ジョン・フレミング
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名前:ジョン・アンブローズ・フレミング(John Ambrose Fleming)
出身:イギリス
職業:電気技術者・物理学者
生誕:1849年11月29日
没年:1945年4月18日(95歳)
業績について
フレミングは、中学校の理科で学ぶフレミングの左手の法則や右手の法則を考案しました。
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フレミング左手の法則とは、電磁気現象の記憶の方法で、磁場中の導体に電流が流れるときに力が作用する現象で、その向きの関係性を左手で表す方法になります。
この方法によって、世界中の多くの人がこの電磁気現象を、簡単に理解することができるようになりました。
さらにフレミングは、1904年には素子が二極真空管を発明しています。
生涯について
フレミングの父親は、会衆派教会の聖職者でした。
子供の頃は技師になりたいと思っていたフレミングは、学校に通い始めたのは10歳のときで幾何学が得意でした。
学校では数学が優秀だったのですが、ラテン語の成績は悪かったです。
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11歳のときには自分の工房を持ち、エンジン付きの船の模型を作っていました。
色々なものを作るためには資金がいるため、フレミングは学校に通うのと同時に働きはじめてお金を稼いでいました。
その後ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに入学し、オーガスタス・ド・モルガンに物理学を教えてもらい、1870年に学士号を取得します。
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さらにロイヤル・カレッジ・オブ・サイエンスで化学を学び、そこで第40回目で紹介したアレッサンドロ・ボルタが発明したボルタ電池に出逢い、最初の論文のテーマに選びます。
1874年には金銭的に行き詰ったため、パブリックスクールで科学の講師をしてお金を貯めます。
1877年には、ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジに進学します。
そこでは第36回目で紹介したジェームズ・クラーク・マクスウェルから学ぶのですが、マクスウェルの講義は非常に難解だったようです。
マクスウェルの講義は、時には聴講生がフレミング1人だけのときもありました。
1881年にはケンブリッジで学士号を取得し、1882年からはエジソン電灯会社で電気技師として勤めることになります。
1883年にはフェローになり、ケンブリッジ大学で1年間機械工学実験の実演者として勤めます。
さらにノッティンガム大学の物理学と数学の教授に就任するのですが、1年以内に辞めてしまいます。
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1884年からはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンでイングランド初の電気工学の教授に就任します。
そしてこの頃に、右手の法則と左手の法則からなるフレミングの法則を発表します。
これは、第33回目で紹介したマイケル・ファラデーによって発見された電磁誘導を分かりやすく人間の手で表したものになります。
実はこのフレミングの法則は、フレミングがユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで教えていた時に、磁場と電流の関係を覚えることができない学生を見てイメージしやすい形で表したことから考え出されたものになります。
1887年6月11日にはバースの法務官の娘と結婚します。
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1892年には、ロンドン王立協会のフェローになり、1897年にはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンにペンダー研究所が創設されフレミングが所長に就任します。
1904年11月には整流器として機能する、最初の真空管となる二極真空管(ケノトロン)を発明します。
この二極真空管により、測光(そっこう)、電子工学、無線計測などの分野に貢献することになります。
1917年には妻が亡くなり、1927年には77歳でユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンを退職し、その後はアメリカテレビジョン学会の初代会長に就任します。
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1928年7月27日には歌手と結婚し、1928年にはファラデーメダルを受賞し、1929年にはナイトに叙され、1933年にはIRE(無線学会)栄誉賞を受賞します。
そして1945年に、自宅で亡くなります。
フレミングという科学者
フレミングは11歳のときには自分の工房を持ち色々なものを作り、技師になりたいという夢を追いかけていました。
そして様々な大学で学び、技師になったり、大学の教授に就任し、フレミングの法則、そして真空管の発明など、物理学に大きく貢献をしました。
さらに、フレミングは持ち前の手先の器用さで、カメラを自作して写真を撮っており、写真家としてもかなりの腕前でした。
今回は、カメラを自作するくらい器用で電子工学への扉を開いた科学者であるジョン・フレミングを紹介しました。
この記事で少しでもフレミングについて興味を持っていただけたのなら嬉しく思います。