【科学者#020】多くの分野に貢献し、絶対零度の単位になった科学者【ウィリアム・トムソン】
人類史上最多の論文数を世に出した科学者として、前回はレオンハルト・オイラーを紹介しました。
そのオイラーには及ばないのですが、生涯にわたり600以上の論文を発表し、電磁気学、地球物理学、熱力学などの多くの分野に貢献し男爵を与えられた科学者ウィリアム・トムソンを紹介します。
ウィリアム・トムソン
名前:ウィリアム・トムソン(William Thomson)
出身:イギリス
職業:物理学者
生誕:1824年6月26日
没年:1907年12月17日(83歳)
業績
ジュール=トムソン効果
トムソンは多くの分野で論文を残しているのですが、熱力学でも業績を残しており、そのひとつがジュール=トムソン効果です。
気体を入れた容器と真空の容器を用意して、綿などを詰めた管でつなぎます。
そして、綿の栓の隙間を通って静かに気体を真空の容器の方へ流すと、気体の温度は下がります。(ただし、装置の外と熱の交換が無視できるとする)
これは、1852年にジェームズ・プレスコット・ジュールとトムソンが行った実験で、ジュール=トムソンの細孔栓の実験と呼ばれています。
この実験により、1861年に気体の温度低下は圧力の低下に比例することを提唱します。(この時の比例定数をジュール=トムソン係数といいます)
この発見により、トムソンは熱力学の開拓者のひとりと言われています。
生涯について
研究について
母親は、トムソンが6歳のときに亡くなり、その後は父親に育てられます。
ちなみに、父親は数学者でトムソンは父親から数学を学びます。
父親は厳格な人でしたが、トムソンとは非常に親密な関係でした。
トムソンが10歳のときにグラスゴー大学に通います。
1834年~1841年の間には、熱、電気、磁気に関して完全に精通していたと言われています。
そしてこの頃には、すでに物理理論に数学を適応しています。
1841年に、ケンブリッジ大学に入学し、1845年には学士号を取得して、優秀な成績で卒業します。
その後はパリへ行き、フランスの化学者・物理学者のアンリ・ヴィクトル・ルニョー(1810-1878)の物理研究室で働きます。
そして、そこではフランスの物理学者・天文学者・数学者のジャン=バティスト・ビオ(1774-1862)や
フランスの数学者オーギュスタン=ルイ・コーシー(1789-1857)や
フランスの物理学者・数学者のジョセフ・リウヴィル(1809-1882)などとの議論に参加します。
翌年の1846年には、グラスコー大学の自然哲学の教授になります。
1847年~1849年には、アイルランドの数学者・物理学者のジョージ・ガブリエル・ストークスと協力して流体力学の研究を行います。
2人の共同研究はその後50年以上続き、様々な研究をしています。
この流体力学の研究は、のちに電気理論や原子理論へ適用されていきます。
1851年には、ロンドン王立協会員に選出され、1890年~1895年には王立協会の会長も務めます。
そして1852年には、ジュール・トムソン効果を発見します。
ケルビン男爵へ
1850年代半ば、トムソンはアイルランドとニューファンドランドの間に海底ケーブルを敷設(ふせつ)するプロジェクトで、実業家のグループに参加します。
そして、理事会に参加し電気関係のアドバイザーを務めます。
1866年には、この海底ケーブルの功績によりナイトの称号を与えられ、大きな個人財産を手に入れます。
トムソンは、エディンバラの王立協会にも選出されており、1873年~1878年、1886年~1890年、1895年~1907年の3期会長を務めています。
その後1892年には、イギリス政府からケルビン男爵の称号を与えられます。
トムソンという科学者
絶対温度の単位でケルビン(K)がありますが、これは絶対温度の目盛りの必要性を説いたトムソンのケルビン卿にちなんで名づけられました。
ちなみにケルビン卿という名前は、トムソンが住んでいたグラスゴーのケルビン川からきています。
熱力学という新たな学問を開拓したり、電磁気学や流体力学など様々な分野で600以上の論文を発表した科学者。
さらに、海底ケーブルを作る際にはアドバイザーも務め、最終的には男爵の称号まで与えられました。
そんな、多くの分野に貢献し、絶対零度の単位になった科学者であるウィリアム・トムソンを、知るきっかけになれたのなら嬉しいです。