光の粒子説と波動説の歴史について
科学史の中で、長年論争が繰り広げられる問題は色々あるのですが、その中でも有名な科学者が数々の説を唱えたものが光の粒子説と波動説についてです。
光の正体は、長年結論が出なかったのですが、事の発端は1600年代までさかのぼります。
まずはアイザック・ニュートンが粒子説を提唱します。
1687年7月5日に刊行された『プリンキピア』、1704年に刊行された『光学』にて、光の持ついくつかの性質は、光が粒子であるとするとうまく説明できることが記載されています。
この当時、ニュートンの影響力というのは絶大で、ニュートンと違うことを提唱しても評価されないということが続きます。
そのため、ニュートンの影に隠れてしまった科学者として科学者シリーズ第14回目で紹介したクリスチャン・ホイヘンスがいます。
ホイヘンスは、1690年に『光についての論考』にて、回折など光に関する波動としての性質を論じているホイヘンスの原理を提唱しています。
ホイヘンスは、光が波であるならば、それを伝播する何かしらの媒質があるべきだと考えていて、その媒質としてエーテルという物質を提案しています。
その後、光の粒子説の方が支持を得ていたのですが、粒子説ではどうしても説明できない現象が発見されていきます。
それが、1732年にジャコーモ・フィリッポ・マラルディによって発見されています。
この現象は、1811年頃から1816年にフランソワ・アラゴによって追試が行われており、その後この現象はアラゴスポットと呼ばれるようになります。
さらに、1805年頃には科学者シリーズ第90回目で紹介したトマス・ヤングによって、粒子説では説明できないヤングの実験が行われます。
1835年頃には、オーギュスタン・ジャン・フレネルによってホイヘンスの原理が補完され、光は偏光している横波であると結論が得られます。
1850年にはレオン・フーコー、1851年にはアルマン・フィゾーが空気中での光の速度が水中での光の速度より大きいことを実験で確認します。
このことにより、光の波動説がほぼ確立されます。
1845年には、科学者シリーズの第33回目で紹介したマイケル・ファラデーがファラデー効果により光が電磁場の影響を受けることが判明します。
1865年には、科学者シリーズの第36回目で紹介したジェームズ・クラーク・マクスウェルの論文『電磁場の動力学的理論』内のマクスウェル方程式により、光が電磁波の一種であると示唆されています。
1888年には、ハインリヒ・ヘルツが行った実験により、電磁波も反射や屈折、干渉、偏光といった光と同じ性質を持っていることが判明します。
このことで、光は電磁波の一種らしいということで、光の波動だという見方がさらに強まっていきます。
しかし、光の波動説にはいくつかの疑問が残ります。
ひとつは、光は波であるとするとその媒質は何であるのかということ。
もうひとつは、マクスウェル方程式からは、その速さは一定であることになるが、互いに運動している観測者の間では相対的にどういうことになるのかという疑問が生まれます。
ここで、光の媒質として仮定されたひとつが、ホイヘンスが提案したエーテルになります。
そこで1887年には、アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーはマイケルソン・モーリーの実験を行います。
これは、「エーテルの風」によって予想されるような現象を検討するための実験で、この実験によりエーテルの風を示すような結果を得られませんでした。
この光の波動説の疑問は、1905年のアルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論に関する論文である『運動物体の電気力学について』が発表されたことで決着がつきます。
その論文の中で、光速はいかなる運動をしている観測者からも不変であることと、エーテルの存在は考える必要が無いということが書かれています。
実は、この頃にどうしても光の波動説では説明できない現象が観測されていくのですが、そのひとつが1887年のハインリヒ・ヘルツによる光電効果の発見になります。
この光電効果とは、物質に光を照射したときに、電子が放出されたり電流が流れる現象になります。
さらに、1900年には科学者シリーズ第81回目で紹介したマックス・プランクによりエネルギー量子仮説を用いた黒体輻射であるプランクの法則を提唱されます。
このことが、量子力学の誕生に大きな影響を与えます。
この量子力学とは、分子や原子、またはそれを構成する電子などを対象としており、その微視的な物理現象を扱います。
実は、光は量子力学の分野の研究になります。
1905年にはアルベルト・アインシュタインの『光量子仮説』による光電効果の説明により、これまで不思議とされていたいくつかの現象をうまく説明できたことにより、光の粒子説が復活します。
そして1923年には、アーサー・コンプトンによるコンプトン散乱の説明により光量子仮説が確実なものになり、光の粒子説が完全復活します。
以上のように、光は粒子で説明できる現象と、波動で説明できる現象が存在することがあります。
現在では、量子と呼ばれるものは粒子と波動の二重性を持つということで決着がついています。
この結論に至るまでには、1600年代から始まり1900年代までの長い時間がかかります。
今回は、光の粒子説と波動説の歴史について紹介しました。