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1話 どうして空を見るのか

オダの過去を書いたほうがいい、と周りの人に言われることが多いから書いてみる。今まで書いていて暗くなったら嫌だなぁと思ったり、書いてどうするんだ?とも思ったりしたけど、同じ境遇の人がいたら「オダがいるから大丈夫」と思ってもらえるかもしれないからその人に向けて書く。覚えていてほしいのは私は自分のことを可哀想とか不幸だと思ったことがないこと。芸人をしているおかげで楽しいと思うことが毎日増えていき更新し続けている。それを踏まえた上で過去を書いていく。

初めて父親の暴力を見たのは5歳の時だった。幼稚園に行く準備をしている時、母を殴った。私はボーッとしていた。何が起きたのか脳が追いつかなかったのかもしれない。父はその手で私と手を繋ぎ、幼稚園に送迎する車に乗せた。そういうことが続いた。日常に暴力があった。ガラスのコップで殴ったり、お腹や背中を蹴ったり。当時の自分は正気を保てていたのかどうかも自分では分からない。でもよく送迎の車のフロントガラスから雲を見ていた。アイスや犬に見える。形が変わる雲を見て考えて、暴力を忘れようとしていたのかもしれない。その後、小学生になって他の子の家でお泊まり会をした時にその子のお父さんとお母さんを見て、「父親というのは母親を殴らないんだ」と知った。
8歳になってからもそういうことは続いた。ある日、おやつにクッキーを食べていたらクッキーが突然宙を舞った。テーブルがゆっくり崩れていく。タキサイキア現象。交通事故が起きた時にスローモーションのように見える現象。危険に直面したときに周りのことがスローモーションに感じるらしい。危険だと思った。
それからはとても早く殴る蹴るは繰り返され「母が死んでしまう」と思った。熱いコーヒーをかけたりカップで殴ったり、自分が見ていることは現実なのか分からなかった。「やめてください」と何度もお願いした。止めようと体にしがみついても振り落とされる。絶望だった。最終的には血が出てしまう事態になった。自分はどうすることもできなかった。父を殺せばよかったのか。どうして暴力は連鎖するのか。優しい家庭ってなんなんだろう。自分はいま何をしているんだろう。と、割れた食器の破片を集めながらグルグル考えていた。
次の日、朝起きると母がいなかった。「殺されたのかも」と思った。でも学校には行かないとという雰囲気が家の中に立ち込めていたので準備をして登校した。授業中も溺死とか刺殺とかありとあらゆる殺される方法が頭に浮かんで「埋められたのかもしれない」と気が気ではなかった。下校して家に着き、父はテレビを見ていた。電話がかかってきた。父に聞かれないように小声で話す。
「もしもし」
「もしもし、ゆうちゃん?」
お母さんは生きていた。よかった。
「いまおばあちゃんの家にいる。叔父さんと迎えにいくから荷物の準備して待ってて」
とだけ言い電話は切れた。生きていた。お母さん生きてた。安堵の気持ちでランドセルの中に服とパンツを詰めるだけ詰めた。玄関の前で2時間くらいジッと待った。そのうち玄関のすりガラスのドアにぼんやりと明かりが見え、車が砂利を踏む音が聞こえた。「お母さんだ」と安心した。
「ごめんね」とお母さんは謝っていて抱きしめてくれた。荷物を全部車に詰んで、リビングでテレビを見ている父のほうを振り返った。一言も交わさない。これからあの人はいないのだ。「止められない」と悲しんだり罪悪感を持つこともしなくていい。車に乗り込み、いつもの癖でフロントガラスから空を見ると雲ひとつなく星が綺麗だった。

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