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2話 夕暮れのスライダー

父から逃げておばあちゃんの家に住んだ。新しい小学校に転入したけど家庭のことは誰にも相談しなかった。まだ自分の家庭は普通だと思っていたから。それでもストレスは蓄積していたのか中学生になった辺りから様子がおかしくなっていった。友達もいて、部活にも励んで、学校生活も家庭も楽しく過ごしていたが、ふと全てを投げ出したくなるときがあった。中学2年の時に家出をした。事情をよく説明せず友達の家を転々とし、一週間くらい学校を休んだ。気ままだった。勉強からも学校からも家庭からも離れて何もしない時間は自分にとって必要だったのかもしれない。そのうち部活の顧問の先生と母に見つかり、顧問の先生に「親に心配をかけるな」としばかれた。その通りだと思った。
中学3年になり進路を決める時に「高校に行きたくない」と思った。原因は人間関係であったり、母の期待に答えなければと思い込んでいたプレッシャーなど様々だったが、一番は、人生をあきらめていたからだった。特にやりたいことも目標もなく将来が無色透明だった。生きていることに意味がないと感じてしまい何をしていても空虚感があった。後になって知るのだが、おそらく15歳頃から自分は病気だったと医者に言われた。病名は伏せておく。
そんな様子で「高校に行きたくない」と言っても母は子供の将来を考えてくれているわけで、許されるはずがなかった。なんとか折れてくれた母が提案したのは「定時制だったらどうか」ということだった。学校にいる時間は少なく人間関係も多くはない。合っているかもしれないと思った。それが決まってからは、糸が切れたように毎日夜遊びをした。わけもなくコンビニでたむろしたり友達の家で騒いだり、先輩の車やバイクに乗り込み山に行ったり、今思うと何がそんなに楽しいんだということばかりだけど友達と一緒にいることが楽しかったんだと思う。大人になってから気づいたけど15歳の女の子が毎日のように深夜に出かけるのは、親はかなり心配だ。事故とか事件とか。母も気が立っていて言い合いが増えるようになった。その頃には私も荒れていて、もう中学校もどうでもよくなっているので髪を金髪に染めたり眉毛にピアスを開けたりしていた。
ある日、母と絶縁寸前のような言い合いになった。私はたくさん暴言を吐いた。暴言を吐いたあとに一気に心に押し寄せるものがあった。「これじゃ父と一緒だ」と思った。やはり同じ血が流れているんだ。自分もああなってしまうんだと怖くなった。怖くなって母と一緒にいたくなくて家を飛び出た。
飛び出たのだが、私の母はガタイがいいほうで肩も強かった。気づいたら庭の砂利を私に投げまくっていた。スライダー級に投げまくっていた。面白いとか言ってる場合じゃないのだが面白かった。

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