タテ書きヨコ書きに関するモヤモヤ
出版されてすぐぐらいに買っていたのに読まれなくて積んである、でも気になっているという本がある。
熊谷高幸『タテ書きはことばの風景をつくる』(新曜社)だ。
タテ書きは、世界中で消えていくが残すべきだという。
その語り口は心理学的にして実験をも盛り込んだ説明となっているが、いつも読み切れないし、妙に頭に入ってこない。
「なんかそういう問題じゃないよな」という思いが強くして入りきれないのだ。
ここはひとつ、我慢して読んでみようとした。モヤモヤは解消されるかもしれない。
今回は冒頭からではなく、後から読んでみようと、「あとがき」から始め、7章6章と逆に読みもどってみた。
タテ書きがいいのかヨコ書きがいいのかという問題ではなく、そうじゃなくて、タテ書きヨコ書き(以後タテ書きをタテ、ヨコ書きをヨコと表記します)によって作品の見え方感じ方が違うというのは、どういうことなのかということだ。
EPUBを作る時もタテですか? ヨコですか? と初めに聞いてくる。Wordでも、タテ・ヨコの設定をしなくてはならない。ヨコ小説もあるけれど、ほとんどがタテなのだけれど、ローマ字の表記があったりすると、そこだけヨコになる。
いや、そういう表面的なことではなくて、そもそも本当にタテ・ヨコでは違うのだろうか?
現時点で持っている私の感想としては、ヨコは論理で展開していく時に適しており、タテはもっと随想的というか、感性を盛り込んだときに向いているように感じている。(いや、しかし、是では曖昧だなぁ)
論理を含んだ文章では、上から下へと展開していく方法は適しており、そして結論に至るのは確かに優れていると感じる。1行1行は読み進めることによって進んでいくような感じがする。それに比べるとタテはことばを追っていくのだけれど、先のことばも視界に入ってきて、予測がつけられる。また慣れているかもしれないが、眼球を上下するだけの読み進めることができるという感じがしている。ヨコなら、さすずめ左目から右目にうつっていくのであろう。
しかし、それによって作品の感じが変わるというのはよくわからない。
この本に引用されている。三浦つとむ『日本語はどういう言語か』では「タテ書きはヨコ書きよりも文字が「見えにくい」からこそ、前後の文脈がつながりやすいのだ」と言ったとある。
文字が見えにくいと文脈がつながりやすいという意味がわからない。
その前にこの本も昔からというか、若いときから持っているけれど、読みきれていない。そこで何が書いてあったのかを思い出すことすらできない。所々線を引いているが、それは最終章の5章「言語と社会」に集中している。
しかし、該当する箇所が見つからない。
おそらく、持っている版でなく、講談社学術文庫版にあるのだろう。
それでも、思考をめぐらせてみると、そこは逐一文字を追っていくことによって意味が見えてくるということを意味しており、文脈がつながりやすいという表現になったのではないだろうか。(ここはもう少し検討していきたい)
しかし、ちらちらと先の単語が特に漢字の文字が視界にはいるので、先に指摘しておいたように先が予測できるということもあるのだ。
繰り返すなら、ヨコは1段1段で論理を運んでいく。タテは一語一語を追っていくことによって意味が現れてくるということだろうか。
そんな私的感覚を持っているのだけれど、自分の作品で検討してみるとよりわかりやすいかもしれないと思い検討してみた。自分で書き出そうとしたことが首尾よくそこに現れているかということが検証の基準になった。
近著『悟りは〈私〉の発見である』の冒頭を読んでみた。圧倒的にタテの方が読みやすいし、かつ心の動きや、脈打つように進んでいくのがわかる。
しかし実際のkindle本ではサンスクリット文字が変換できないので、仕方なくその部分を画像にしたのだけれど、なぜか読みづらい。またブログの転載もあるので、タテに直すのもおかしいとヨコのままにした。
プリント版では日本語の本らしくタテ表記で出版したいと考えている。Wordではサンスクリット文字も表記できるので、印刷が可能なら、これでやりたいと思う。
ヨコではリズムに乗れないのと、その時その時の心の揺れ幅で、あっちに行ったり、こっちにいったりして飛ぶことが表現できない。まるでスイングするように書き出していくのに、ヨコではそこが詰まってしまう。ヨコはより整合性を持たせた、わかりやすい文章で、書き下すツールとしては優れているのかもしれない。
そこを著者は
と述べている。1段1段に注目するのか、単語一つ一つに注目するかの違いだろうか。
そこではヨコは確かにブログに向いているとも言える。今、このエッセイのような文体でも、こうなのであるから、小説になったら、もっと如実にやられてくるのかもしれない。おそらく、このエッセイでもタテにすると感じが変わるのだろう。
著者はタテ書きを消してはならないと強調する。
それでは日本語はタテが良くてヨコは必要ないのかというと、そうでもないだろう。
まだまだモヤモヤは続く。