サンカ呪縛からの解放 筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(文春新書)
することがなくて、ふと書棚をみたらサンカの本が並んでいて、その中にこの本があった。買っておいたのに読んでいなかったのだ。
おそらく、出版されてすぐに買っていたと思う。熱心に読んでいた時期があったのだ。
なぜ、読まずに置いておいたのかというと、おそらくこれより少し前に読んでいた利田敏『サンカの末裔を訪ねて』(批評社)の「あとがき」に書いてあった筒井功の記述を読んでいたからではないかと思う。
そこには筒井のことをあまり良くは書いていなくて、サンカにたいして愛情が少ないのではないかという旨の発言があったり、情報を共有しませんかという問いかけにも、自分はひとりでやっていくといって断られたことや、「行間からにじみ出てくる〝暗さ〟のせい」ともあって、その影響をうけていたのかもしれない。利田敏はサンカファンを自称しているから、本をよんでも分かるように、インタビューでも有名芸能人にでもインタビューするような好感度をもって接している。
それに比べると筒井は、サンカを特殊なものにしないというスタンスがあって、ある意味サンカ幻想から解放されているからではないかと感じた。たまたまジャーナリストという立場だったのかもしれないが、そうだとすると利田もTV関係者だから、同じようなものなのだけれど、そうだとすると思い入れの違いなのだろうか。
ともかく、2006年当時は私もまだサンカへの呪縛からは抜け出せてはいなかったということであり、熱心に読んでいたのだと思う。
本書の内容自体は、徹頭徹尾、三角寛批判であって、三角の作品一般ならび博士論文として提出した『サンカ社会の研究』もその簡易版である『サンカの社会』についても、虚構がいりまじり、捏造されていると酷評している。
それだけではなく、出生から生い立ちに到るまで言及して、これはもう人格批判になっていると思える。筒井自身が個人攻撃と言い切っているのだから、そうなんだろう。そうまでして批判している点は、逐一述べられているわけだけれど、それを虚言壁というのは言い過ぎで、現在の私から言わせれば、三角寛はいわゆる「サンカもの」でひと山当てた作家ということではないだろうか。ビジネスとしてである。しかし、それは小説にかぎらず何事のおいても人間社会ではそうなのであって、学問の世界でもそうなんだろう。それが精査されて評価が落ち着くには何年もの時間が必要なのだと思う。
それを言いたいわけではなくて、この三角批判に、それだけではないようなものを感じてしまって、それを筒井が意識しているかどうかにかかわらず、時代の意識も変わったのだということを感じるのだ。
なにが時代の意識かというと、それまでのリアルな社会秩序にたいして、それに纏わらぬ存在があった、アジールというようなものがあった、またはあったかもしれないという期待と希望というロマンが、まったく崩壊したということだろう。
サンカへの関心は、というより民俗学への関心も同じようなものであり、まだ、当時はあったのだ。逆に言うとそれだけ社会秩序がハッキリしていて、曲がりなりにも機能していたということであって、それが崩壊したことによって、すべてがいい加減になり、なんでもありの、ただただお金の世界に変貌してしまったことによるのではないかと思う。そのターニングポイントは、おそらく2011年の東日本大震災だろう。
それまでは、柳田国男の山人説から木地師と呼ばれる集団、果てはつげ義春ブーム、水木しげるの妖怪もの、そして縄文時代ブームにいたるまで、一種の反近代主義であって、近代主義的に秩序づけられる無機質な「のぺぇ~」とした空間への「息抜き」のように作用していたのではないかということだ。
それが、現在ではホラーやファンタジーアニメなどが引き受けているのだろうが、それはあくまでフィクションだから、本当にあった社会秩序の枠外にあった世界という期待にはそぐわない。
筒井はそれを意識したかどうかはわからないが、そんな集団は「無い」と言ってのけているのだ。
本書の244頁で三角のサンカ像を筒井が要約して次のようではないかと述べている。
かなり誇張しているようだけれど、それはサンカの実態というよりも、三角の作り出したフィクションであり、かつそうあってほしいという期待でもあったのだろう。
しかし、このような組織はなかった。
また〈居た〉と信じる研究者は多いし、その郷愁はなくなっていないけれど、やはり居ない。
山人は、ただ山に住んでいた弥生人であり、漂白民は単に移動して、箕つくり箕直しなどをしていた人々であり、木地師は木工製品をつくっていた移動する職能集団であったというにすぎない。別に定住するだけが人間生活の形態ではないので、(遊牧民をみよ)身近なところでは養蜂業者などは、花を追って南から北へと日本を縦断するというわけだし、行商のように各地に家族ともども転勤していくサラリーマンだって、同じではないか。
そう考えれば、なにも特殊なことはない。
社内の情報は外部にもらしてはいけないし、その会社の独特の隠語があり、厳格な階級と秩序がある。上位者の命令は絶対であり、下位の者はそれに服従しなければならない。掟破りは死刑にはならないが、クビになる。いや、そう追いやられる。普通社会とはまったく異質な習慣がある。会社文化というものがあって、そこでのルールに従わなくてはならない。
そう考えれば同じではないか、とすこし茶化してみたけれど、特別なものではないのだろう。
一気にサンカ熱も冷めてしまうかもしれないけれど、少なくとも私は柳田国男への関心は過ぎ去ったし、あれは柳田国男という人の文体なのだと感じる。つげ義春についてはすでにブログにしている。
この荒涼とした情況にあって、その〈癒し〉ないし、息抜きと呼べるようなものが必要とするならば、それは自分自身にむかうことであり悟りというか自覚に向かうしかないのでははないかと感じている。感じているというよりは、私はそうしたのだし、そうしているということだ。これでは、柳田国男やサンカをたんに悟りというか手法的には瞑想に置き換えただけかもしれないが、ヒトの心性というものは、現実に生きていくというだけの現実対応意識だけでは生きられない。何らかの物語を必要としているし、また各人が作っているのである。
集めたサンカの本はもういらないかもしれない。だからと言って、サンカと呼んだ人たちが存在しなかったというわけではないし、サンカ学というものを否定するものではない。歴史民俗学を軽視しないし、人間の生きてきた事実を無視はしない。
この本のなかで一番関心を引いたのは、巻末のエピソードだった。
それは、久保田辰三郎氏と松島ヒロ氏との長男松島始氏のエピソードだ。
それを、筒井はこう書いている。始氏は2006年3月27日に肝臓がんで亡くなったとある。
長い引用になってしまったが、ここには松島始さんの個人的な性格を言っているのか、それとも物事を深く考えないので、快活でいられるというサンカという人々の性格描写なのかという疑問があって、関心を持ったものだけれど、よく読むと何かおかしいと感じる。
肝臓がんで亡くなったとあるのに、その前年に面会していて、そこで焼酎を渡している。
肝臓がんは一年でなるわけではなくて、一年前ならすでに肝機能は落ちているだろうし、酒なんてのめない。アルコールが代謝されないので、呑んだ後が苦しくて大変だ。苦しくて吐いたりすることはあるだろう。すでに、痩せているらしいから、ガン痩せになっているようだ。かなり末期だ。
いっぱいのアルコールで癒せるという「不思議な感性」という表現も気になる。
そうだとすると、この記述は筒井の創作ではないのだろうかという気がしてきた。
そもそも、筒井はこのような情緒的な、親しみを込めた表現をしてこなかった。
「おわりに」というあとがきにしても、虚構ではないにしても、脚色しているような気がする。
これでは、三角寛と同じではないかと愕然としたのだ。
話を盛っているのだ。自分の都合のいいように話を作っていると。
このあと、すぐにこの本の原稿を編集者に自ら持ち込んだ原稿だと説明されて終わっている。先に述べた、利田敏の本が2005年11月25日の発行日になっているので、2006年10月20日出版日の本書はほぼ1年後ということになる。この部分は、利田への、サンカファンへのエックスキューズではないかと疑ってしまった。
勘ぐりすぎかもしれないのだけれど。