『いい音楽』の『いい』と思う感覚とは?〜問題提起〜
心躍る『いい』音楽を作りたい。ソーダ・ヒロです。
毎回そんな自己紹介をしていますが、
『いい音楽』の『いい』とは何をもって『いい』のか?
個人的に定義するならば、『感情のメーターが振り切れんばかりに心を動かす曲』、と言ったところでしょうか。
これまでの音楽史の中で"名曲"と呼ばれる数々の音楽が世に発信されてきましたが、
僕も音楽を制作する身としてここでシンプルな疑問が。。。
それは、
なぜみんながみんな『いい音楽』を作れないの?
す、すいません、なんか頭悪そうな疑問で、、、。
(『いい音楽』作りたいと思うのに作れない自分の悩みです。。。)
でもホント心から思うんです。
音楽を聴く立場としても作る立場としても。
だってみんな音楽作るからには感動してもらいたいですし、評価してもらいたい。
でも、
「あの曲すごく感動するな」「この曲はあまり響かないな」
そんな差が生まれるのは一体なぜなんだろう?
「持って生まれた才能の差だよ」
「センスがあるかないかだよ」
「音楽の理論を知らないからだよ」
「歌や演奏が下手だからだよ」
本当にそうでしょうか?
才能やセンスというまるで神が与えたような特別な力を持った選ばれた人間だけしか作れないのなら、
その線引きはなんなの?
単に音楽の知識や理論を重ねるだけで名曲が作れるなら、
なぜ、評価されない曲が生まれるの?
歌や演奏が際立って上手な人はみんな名曲を書けてるの?
ずっと疑問でした。
自分自身、誰かに評価されるような、誰かに価値を与えられるような『いい音楽』を作りたいと切に思いながらも、そこにはなかなかたどり着けていません。
音楽で食っていくことを志せば、
「そんな簡単なものじゃないよ」
「一握りの人間だけしか食ってけないよ」
そうした言葉も幾度となくいただく中で、
では、どのような努力をしていけばいいのか?
どこに向かって力を注げばいいのか?
宇宙の真理のように、この疑問も解明されないものなんだろうか?
何曲も曲を書いて名曲が書けない自分には一生辿り着けない、もはや別次元の世界の話なのだろうか?
、、、。
それでも諦めきれないこの気持ちはなんだ?
「そんなことはない!」と自分を鼓舞したくなるような、余地が残っている気になるのはなぜなんだ?
感覚的に取り組んできた音楽を一度分解して分析してみよう。
音楽を聴いて影響を受ける"人の心のメカニズム"を紐解いてみよう。
音楽を感覚だけで分かった気になっていた自分を、きちんと「何も分かってない。何も知らない。」のだと受け止めて、
一つひとつ理解してみよう。
名曲を聴いて感動できる感覚(インプット)は(皆)持っている。
ならば自分もその感覚で『いい音楽』としてアウトプットできるようになりたい。
『いい音楽』の『いい』と思う感覚とは一体何なのか?
その正体を、自分なりの答えまでたどり着いてみよう。
そんな悪あがきをした記事を書いてみます。
続きはまた別の記事で!
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