「弱者と強者」って?
自民党総裁選に立候補する野田聖子氏が、「弱者のために!」と言っていました。
東京事変やペトロールズのギターを担当されている長岡亮介さんが、「正解は作らない。正解を作ると失敗ができてしまう。」と言っていました。
「弱者」があるということは「強者」があって、「正解」あるということは「失敗」がある。
「弱者のために!」と言っている野田聖子氏は「強者」なのでしょうか。仮にそうだとしても、その「強者」である野田氏にも人に助けてもらわなければ困る弱い部分が必ずあるはず。
片や、「弱者」と言われる人達には「強者」と言われる人達からは見えない世界があって、それが強みになって誰かを助けることだってあるはず。
ゲームか何かの対戦によって、弱者や強者が存在するのは当然だと思うけど、別に対戦しているわけではないのに、勝手に社会的な弱者や強者を設定するのはおかしくないですか?
万人の中には強い部分と弱い部分があって、金持ちもそう出ない人も、権力がある人もない人も、お互いの弱い部分をお互いの強い部分で補って助け合っていけばいい。困っている人がいたら助ける。それが当たり前じゃないから、この社会は生きにくいんでしょうね。