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才能よりも大事なもの
自分は何かの才能があるはずだ、そう思い続けて死ぬだろう。
そう思っていたときに出会った記事が頭を整理させてくれました。
「自分にも何かの才能がある」と信じることは希望を持つこと。才能なんかないかもしれないけど、そんなの誰にもわからない。ただ大器晩成を信じて努力を重ねるのが大事で、それを続ける自分のためには役に立っている。
そう思っていたけど、その考えは矛盾していると気がついた。
「成功した人は才能があったかもしれないけど、それ以上に努力しているはずだ」「才能なんて当てにならない」とも考えている。この考えが自己論駁的で「自分にも何かの才能がある」と信じる力を自ら下げていた。
だから自分の才能なんてくだらないこと考えないことにする。
これとは別に、発明王のエジソンは「天才は1%の閃きと99%の努力」と言っていたと言われる。これには思い当たる節がある。
何かを閃いて実践しても、残念ながら続かないことが多々ある。続かない理由は、他に興味が逸れたとか、やってみたけど違うとわかったとか言い訳がましいことが色々出てくる。ロジックが甘かったとか、知見が狭かったとか、そういう欠陥を自ら見つけることもあるだろう。でもこれも言い訳。
これはつまり、そもそもの閃きが大したこと無いものだったことが証明されたということ。努力を続けるエネルギーが、その閃きになかっただけ。
逆に珠玉の閃きは人を無我夢中にさせる。外見も外聞もお構いなしで我武者羅に努力を重ねはじめる。でも、そんな「やるきスイッチ」のような閃きは突然どこかから降ってくるわけではない。
珠玉の閃きは、苦悶の中から零れ落ちる。その苦悶は、どうしても実現したくてたまらないビジョン。どうしたら実現できるか、そればっかり考え続けている苦悶。それが珠玉の閃きを産むのだ。
15年前、自分は珠玉の閃きを得た。でも努力はまだまだ足りない。ただひたすらビジョンの実現のために、努力を重ねよう。
必死な姿は、Workaholicに見える? ほっといてくれ。