公徳心(3)会社は道徳学習の公器
公徳心はどこで学ぶのか?自分はどこで身につけたのだろうか?
園児の頃、冬に半ズボン姿で通園する途中、なぜかパチンコ屋の前で「俺は模範的になる!」と決心したことを覚えています。なんでそんなことを決心したのかはっきりわからないけど「兄」という立場は影響しているかも。
そう立派な決心をしたのに、中学を卒業して親の呪縛から離れた俺はタガが外れたように遊び呆けた。就職しても仕事に気が入らない日々でした。そんな社会の反面教師のような自分が、どこで公徳心など身につけたのか?
具体的に公徳心として学んだ記憶はありません。倫理や道徳の授業は寝る時間。社会に出て、仕事をしている内に身につけたようです。
仕事や遊びで一緒に過ごすうち、同僚や先輩を模範にして身についたのかもしれません。仕事の仲間から公徳心を学ぶなんて、巡り合った環境が素晴らしかったおかげだ。あのころの先輩や同僚には感謝しかありません。
昇格試験の論文も影響かもしれません。試験前、自分の仕事は公に資するものだと何度も繰り返し書いて、会場で忘れないように自分に叩き込んだ。ある種の洗脳かもしれないけど、刷り込んだものが公徳心でよかったです。
不良社員が道をはずさなかったのは公徳心を身につけたおかげ。いや道を外していたけど公徳心のおかげで道に戻れた。仕事は公徳心を身につける良い機会、いや会社は公徳心を身につけるための公器なのだろう、と思います。
公徳心は滅私奉公ではありません。自分を殺して公の奴隷になる思想ではありません。公徳心は、社会の責任から逃げないで、社会の中で自分らしく居るために大切な意識。自分らしい人生を送るために大切な心がけです。
どうしてそこまで思うのか、次で説明します。