福祉から平和を(7)気づかぬ喪失感
見当識(けんとうしき)の喪失
先日、10年前まで5年間住んでいたニセコを訪れました。元の職場があったヒラフを来訪は8年ぶり。最も開発が著しいエリアなので、どのような変貌を遂げたのか、変化を見るのが行く前から楽しみでした。
しかし実際に到着すると、なんと激しい頭痛や吐き気が。あまりに辛くて小一時間で早々に引き上げたのですが、その原因は多分、見当識の喪失です。
初めて訪れる街で道を迷うのとは全然違う。何年も毎日見た風景だけに細かい変化も気づいてしまって、見慣れない建物と過去の風景を無意識に答え合わせしているのか、ここはどこ?状態。脳内処理が追いつかなかった。
生涯転居回数が20回超だから、環境適応性は高いと自負してたけど、未知の土地と、既知の土地の未知の変化は脳内処理が全く異なるみたい。
自分史の文脈と現在の存在を繋げられなくなると、アイデンティティを喪失してしまうのかもしれません。この見当識の喪失は、人の記憶がどれだけ自己の精神を支えるのに重要か、を実感する稀有な経験でした。
自分は2日で回復しましたが、アイデンティティを喪失したまま日々を過ごすことが「生きづらさ」の大きな一因となることは想像に難くないです。
精神の豊かさとは、自分の存在を確かに感じることなのかもしれません。