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福祉から平和を(8)自己同一性

アイデンティティとは

アイデンティティは精神分析学者であるエリクソンErikson,E.H.(1950,1959)が青年期の中心的な心理社会的発達の課題として提唱した概念である。
(中略)
アイデンティティidentityとは「わたしはわたしである」とか「わたしはわたしらしく生きている」といった確信に近い感覚である。「わたし」という自己の属性には名前,身体的特徴,性格,価値観,社会的役割,身分など多様な側面が含まれるが,アイデンティティの感覚とは単なる自己概念や自己定義ではない。エリクソンはアイデンティティの感覚とは「内的な斉一性samenessと連続性continuityを維持しようとする個人の能力と,他者に対する自己の意味の斉一性,連続性とが一致したときに生じる自信」と定義している。

コトバンク:最新 心理学事典「アイデンティティ理論」の解説より


(1)斉一性
①社会の中で自分は生きているという確信
客観的視点では,根本的には現在ここいる個人が他の空間に移動しても同じ人間であることが斉一性である。主観的視点においては,斉一性と連続性とは,様々な空間で社会の中で自分が生きているという確信であるといえる。
②様々な空間における身体的及び心理的体験
社会の中で自分が生きているという確信の根拠として,様々な空間で自分及び他者との間の活動で,五感における身体的体験と,感情や思考などの心理的体験を見出すことができる。
③社会の中で自分が生きているという意味
社会とは他者と共に生きている空間であるという意味づけが根底にあるからこそ,様々な空間における他者との間の活動における身体的及び心理的体験が根拠となり,社会の中で自分は生きているという確信が成立していると考えられる。

(2)連続性
①生涯の中で自分は生きているという確信
客観的視点では,根本的には過去と現在,そして,将来の個人は同じ人間であることが連続性といえる。主観的視点においては,過去から現在そして未来へと自分が生きているという確信であると捉えることができる。さらに,時間の中で起点と終点を考えると,誕生から死までの生涯の中で自分が生きているという確信であるといえる。
②過去の想起及び将来の予期という体験と伝聞情報を受け取る体験
竹田(1989)は現象学において,記憶を思い出すことを想起といい,将来の予想を予期といい,共に確信の根拠である体験となるとする。また,伝聞情報を受け取る体験も確信の根拠となるという。このことから,過去の自分を想起する体験,将来の自分を予期する体験が時間の中で自分が生きているという確信の根拠となっている。さらに,記憶がなく想起できない過去については,親などの養育者から誕生時の様子を伝聞情報として受け取る体験も,誕生から自分は生きているとい確信の根拠となっているといえる。
③誕生から死までの生涯を生きるという意味
自分が生きていることは,誕生から死までの間の生涯である意味づけがあるとえる。つまり,生涯の中で自分が生きているという確信において,すべての時間の流れの中での記憶は想起されず断片的な想起でも,また充分な予期がなくても,自分は生涯を生きていると意味づけているといえる。

エリクソンの斉一性と連続性を現象学的方法で捉える(1)
-アイデンティティ危機でも喪失されない斉一性と連続性とは-
小沢一仁(東京工芸大学)

上記の解説によると、斉一性、連続性ともに自分の存在価値を理解する要素だが、斉一性は空間におけるそれであり、連続性は時間におけるそれである。これらが喪失するとアイデンティティが拡散してしまい、自分らしさを理解できず、生きづらさに陥ってしまうのであろう。

自分らしさを理解できていない状態を自覚していれば、支援の手を借りつつ過去と現在の時空間をなぞることで取り戻せそうだが、無自覚だったり知的や精神の障害を抱えていると、支援することすら困難だろうと思う。

自分らしさを知ることは、精神が豊かなことなのだ。


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