「仙台人」気質(3)仙台市民読本、今も必要。
前回に記した「仙台市民読本」の原文が、国立国会図書館ライブラリでネット公開されているのを見つけました。
表紙に続いて仙台市民歌、そして「はしがき」に続きます。「はしがき」では仙台市教育会が、小学校高等科の1学年と2学年(現在の中学1年生と2年生)の課外読物を狙って編纂し、書物の前半は1学年向け、後半は2学年向けだと記されています。
例の「仙台人気質」は前半の締めくくりに記されていました。
その内容を現代の表現に代えて、以下に転記します。
注目すべきは、最初の一文「他地方の人々から我々仙台人に関する批評を聞くことが少なくない」と、最後の一文「我が仙台人の最も著しい短所である共同団結心と公徳心の欠乏を矯正し除去しなければ、大都市仙台の発展は困難であろう」の2文です。
ここで厳しい批評を受けている”仙台人”は紛れもなく仙台に住む「大人」。その大人を共同団結心と公徳心の欠乏が著しい短所であると、市の教育委員会(仙台市教育会)が厳しく評価して、中学1年生(小学校高等科1学年)に短所を”矯正”して”除去”しないと都市の発展は困難と示しているのです。
「一般公衆に対する公徳心は甚だ幼稚」な反面教師な大人にした責任は市の教育会にもある。なのに、それを”矯正”し”除去”すべきと中学1年生向けの前半を締めくくる。この文章を読んだ青少年たちはどう思っただろう。
自分の親は反面教師か?と親への畏敬の念が薄れ、家庭不和の原因になりかねない。それこそ現代なら市民から猛反発を食らうような過激な表現です。何があったのかわかりませんが、当時の公務員の怒りが滲んで見えます。
そのころ既に大都市だった仙台には未来に対する危機感と”慎ましく反省しよう”という風潮があり、県民性を”矯正”しようと教育会が青少年にこの読本で働きかけた。しかし、この流れは太平洋戦争で途絶えてしまった。焼け野原になった仙台は復興に全力をあげ、学校教育も大きく変化しました。
それから87年。その”矯正”し”除去”すべき欠点は残っているようですが、それでも戦後も東日本震災後も成長を続けた仙台です。
「そんな欠点なんかどうでもいいじゃないか、ほっとけ!嫌なら出てけ!」という声が挙がりそう。しかし、その公徳心の欠乏が、社会にも個人にも多くの問題を引き起こしているのです。それを私は伝えたい。
別の機会にお伝えします。