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声の魅力と覆面嗜好
オンライン講座の司会者の声がボーカロイドっぽかった。
感情が死んだような声。世界が急に冷たくなったように感じました。でもその方だけ特別ではなく、最近いたるところでよく聞く声色。なんなんだ?どうしてこうなってしまうのだろう…「マスクをしていたほうが心地いい」という覆面嗜好と似たものを感じる。人間味を自分で殺している。
そのボーカロイド的な声を聞いて、先日のJ-Wave Innovation Worldを思い出しました。通りすがりの天才、川田十夢さんと「世界は美しいはずなんだ」のYAMAさんとの対談。YAMAさんはボーカロイド曲を「歌ってみた」ルーツがあり、十夢さんがそれについて触れました。
川田十夢
世間の感情と、YAMAのいまの雰囲気というかムードは近しいですよね。並走しているなと思いますけど。僕が聴いててもうひとつ面白いなと思ったのが、ボーカロイドというのが1つテクノロジー的に生まれて作曲する人からすると自分の声を通さなくていいとか。
あと譜割とか息継ぎとか考えなくていたとか、メロディの作り方で革新があったと思うんですけど、ボーカロイドの歌を今度は人間の声でアンサーソングみたいにYAMAさん歌ってたじゃないですか。あれも思い切り新鮮でしたね。
YAMA
そこはもう自分のこだわりじゃないですけど、やっぱり生身の人間が歌ってる楽曲のカバーをした時にその人を超えることが出来ないっていう思いがずっとモヤモヤしてたんです。ボーカロイドが逆になってきたときに機械音、感情のない機械音であれば生身の人間が歌った時に違和感なく受けいれられるのかな、と。そこに自分のオリジナル性を探したかったというところがありますね。
カバー曲の歌い手も、ついオリジナルと比較してしまうのは仕方ないけど、そこにはあんまり意味は無いです。
歌いたいと思うヒット曲は、やはりその歌手の心の籠もった声が聴く人の心を震わせる。その心の共振が心地よくて多くの人が支持をする。そうなるために何度も練習を重ねた歌声に、簡単に敵うわけがありません。
だから、オリジナルはどうしても超えられない。
だけど、オリジナル曲と比較しなけりゃどうでもいい。
例えば「この人の歌声が好き」だったり「この人にこの曲を歌って欲しい」ってありませんか?その人の声や人柄を好きなとき、その人の声を聴ければ嬉しくて、もはやオリジナルとの差など関係なくなります。その人の声で心が共振できるなら、音程やリズムが狂っていようがどうでもよくなります。
声を通して心に触れて共振することが嬉しいのです
カラオケの採点機能、あれは自分の魅力を排除して、オリジナル曲に近づける技術を採点する方法。手本に近づける技能を競うのは、その道の人たちには大事だけど、そんな歌声には魅力を感じません。歌のお遊びですね。
フィギュアスケートもショートプログラムよりもアイスダンスのほうが魅力的。それはやっぱり魂を込めた演技に心が震えるからだと思います。
機械的な応答をするような覆面嗜好の人が増えると息苦しくなりますね。保身で閉じこもる人が増えるから、世間の息苦しさが増してしまう。
ひねくれた俺は、素直さを臆せず出せる世界を望むから、自ら素直さを臆せず出していくよ。今日も来週も。
良い一日を。