(令和版)罪を憎んで人を憎まず(2)
福祉での活かし方
「人を憎まず」は障害福祉の現場でなくても標準仕様。
現場では「テーブルを壊した」とか「見られて不快」とか突然居なくなるとか、一般企業では起こり得ない出来事が毎日たくさん起こります。どれも人間の仕業ですが「犯人探し」からの「叱責」では前に進みません。
まずは本人の話を聞きます。「罪を憎んで人を憎まず」?
大抵、本人なりの理由があります。その道徳基準がいくら歪んでいても、防衛機制が不適切でも、やってる本人大真面目。これが当事者の生きづらさ。言えば治るものではありません。なにか理由があったなら、一旦その理由を受け止めます。「罪を憎んで人を憎まず」?
でも、罪を裁くわけではないから、現場では「人も罪も憎みません」。
では「人を憎まず、仕組みを憎む」は無理なのか?
仕組みを変えて、未来を明るくできないのか?
実は、憎むべき仕組みは、環境の根深い所にあるのです。
福祉的「人を憎まず、仕組みを憎む」
発達障害と精神障害の支援の場で「そういう特性だから」で結論づける支援を今まで何度も見ています。環境整備と称して「AさんはBさんを嫌いだから離そう」と大真面目な声があがります。特に福祉経験が長い方ほど「そういう特性だから」と結論に急ぎます…そういう特性…だからなんなの?
私はその支援の先に明るい未来を感じません。諦めろって言いたいの?
脳に関係する障害は「脳のせい」とか「もう年だから成長しない」と切り捨てられ、行動を抑制する支援や投薬が多いのが実情です。だけど実は脳の機能向上に効くリハビリは発展が著しくて、試行錯誤の価値が高い領域です。
当事者本人からも「できれば治したい」という声を聞いています。本人に適したリハビリを諦めず、無理せず試行錯誤を続けていこうと思います。
希望を叶えたい。希望は大事。
で、憎むべき仕組み、それは「そういう特性だから」と結論に急ぐ風潮。
「そういう特性だから」と諦める人を憎まず、絶望感が蔓延る風潮を憎む。
こうして「人を憎まず、仕組みを憎む」は福祉業界でも活かせます。