公徳心(4)微笑
街を歩いているとき、自分の表情を意識していますか?
家から出た直後なら近所の人に会うかとしれないと表情を作るかもしれませんが、それとは別です。公共空間をひとりで歩いている時の話です。
街を歩くと無意識に見知らぬ人たちの表情が目に入ります。その表情が街の景色の一部を構成しています。
そう、逆に私たちは、自分たちの表情で街の景色を彩っているのです。
気づいていましたか?実際、多分、気づいていない人が多いと思います。というのも、日本は暗い表情の人が多いから。
数年ぶりに帰国すると一番初めに感じる逆カルチャーショックはこれ。電車に乗ると皆んな沈んだ表情をしている。疲れてるんだと同情する気持ちはあるけれど、目にした自分も疲れてきます。
海外に住んでいた時、町に出ると元気になるから楽しかった。そう、元気になれる街には笑顔が多かった。それは観光地だったからかもしれません。楽しく観光している人の笑顔に釣られて、自分まで楽しくなりました。
街の笑顔は、街の景色を美しくして、街の魅力を高めます。
街の景色をよくしたい。綺麗な町に住みたい、という公徳心が街を歩く人の笑顔を増やすでしょう。
でも、無理は禁物。作り笑いが過ぎると、町に出る気を削いでしまいます。
よく、接客時にはクォータースマイルが相応しいと言います。大笑いがフルスマイル。歯を見せる程度がハーフスマイル。クォータースマイルは相手を受容するような微笑です。
街をひとりで歩く時は、クォータースマイルより少なめの1割スマイルくらいで良いでしょう。それくらいなら疲れないし暗い表情より遥かに美しい。
とはいえ、マスク生活では口元を見えません。
そこで僕は最近、車を運転している時に微笑んでいます。誰も見てないからというわけではなく、むしろ誰かに見せたい。意外と運転手の顔は見られています。もし俺の微笑みが誰かの微笑みを喚起したら嬉しいな、思いつつ。
そしてそうして微笑んでいると、楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる、っていうのは本当だと実感できます。微笑を撒き散らしてたら、不思議と楽しいことを発想しはじめます。おや?雑念は何処へやら。
笑顔の街を作ろうとすると自分も元気になります。公徳心は自分にもイイ。