不妊は何かの罰ですか
医学生だった頃、休憩せずにぶっ続けで働きまくる多忙な指導医のもとで臨床実習をしていて、お手洗いに行きたいですと言い出せずに困った事態に発展したことがあります。
外科実習で、長いオペに備えて水分摂取を控えてみたら、膀胱炎(外科実習あるある)。
別の科では、朝から夕方までトイレに行かなかったせいで生理に気がつくのが遅れ、白衣に経血が漏れました。
この時は幸いにも、汚れたのは裾のほうだけだったから、周りの人にはバレなかったように思うけど。
それでも、白衣に経血事件はかなりのトラウマになりました。
生理なんて、来なければよいのに。
そう念じながら暮らす生活は、医学部を卒業して医師になったあとも続きました。
厄介だったのは、当直室のベッドです。
仮眠中に予期せぬタイミングの生理でベッドを汚したらどうしようという恐怖感から、毎度神経質にリネン類を確認する癖がついてしまいました。
当時はまだフェムテックという概念すらなく、いまではだいぶ手に入りやすくなった便利グッズは登場していませんでした。
同じように困っていた女性医師は他にもいたかもしれないなと思います。
そんな生活のなかで月経不順になり、研修医時代の途中で生理が来なくなった頃。
生理に悩まされなくなって、私は女性としてはラッキーな体質。
便利で良かった。
と、私はかなり本気で思っていました。
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生理が来ないことは「ラッキー」などではなかったと思い直したのは、結婚してすぐに不妊治療を開始した後のことです。
原因不明の卵巣機能不全の診断で、治療を頑張っても全く結果がでないまま、治療費だけが重く積み重なっていきました。
やがて、不妊治療クリニックの受付で高額の請求を支払うたびに、
「これは何の罰金だろう?」
という思いが頭をよぎるようになりました。
若いころに、「生理が来なければいい」と念じて、自分の女性としての体を大事にしなかったから。
産む身体としての自分の体を、邪魔扱いしたから。
きっとその罰で、私はいまその罰金を治療費として支払っているのだ、と思いました。
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不妊という受け入れ難い事象について、「なぜ、どうして、妊娠できない?」と問うたびに、「自分のせいだ」という答えが自動思考として湧き上がってしまう。
主治医から説明された私の診断名は「原因不明の卵巣機能不全」だったので、その原因は文字通り不明であって、私が若い頃に生理を呪っていた事実との科学的因果関係など立証しようがない、ということは、さすがの私も分かっていたはずだけど。。
それでも、かつて学んだはずの医学知識も主治医の説明も、私の肚の底からの「なぜ、どうして?」に納得できる答えをくれず。
結果的に私の思考回路は混線し、「これは何かの罰だ」の思いに苛まれることになりました。
〈罰〉の感覚をクリニック受付でどうにか呑みこんだあの日々から何年も経ってみて、いまならば、
「罰みたいに感じているその感覚は、〈悲しくて残念だ〉という嘆きの感情だよ」
と思えるけども。
だけど、あまりにも嘆きが深いときには、思考も感情もバグってしまうよね。
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若い頃に私は確かに、自分の体を大事にしない働き方をしたけれど。
そのことで健康を損ない、キャリアを何年も棒に振ったけど。
いまでは、かつての自分のすべての在り方が、「あのとき、私はそのようにしか在れなかった」という、諦念にも似た納得に覆われています。
「そのとき、そのように在ることしかできなかった」ことが罰せられるような世界観を生きたくない。
不妊治療費は医療費であって、罰金ではない
今まさに、不妊で悲しみと後悔の中にある人がいたら、私が渦中にいるとき自分自身に言うことのできなかったその言葉を伝えたいです。