弱さを前提とせよ
こんにちは、虚弱の民です。
キャリア設計的にズタボロに破綻している私ですが、大学の非常勤講師を細々と続けていて、今学期も週1コマ担当しています。
今週はその授業を、急遽オンラインに変更して実際しました。
我が家のゼロ歳児さんが高熱を出し、病児保育のベビーシッターさんを頼んで別室で看病してもらいながら、自宅から授業をしたのです。
こんなことは数年前なら考えられず、コロナ禍を経て大学がオンライン対応になって本当に助かりました。
ヒトは誰でも感染症に罹りうる。
気合いや根性では防ぎきれない病気がある。
そのことが、現代社会の制度設計においてようやく考慮されはじめたのが、コロナ禍でした。
対面で出勤できない人がいても、その事が大きな迷惑に発展しない職場環境を、オンライン化などの工夫で実現できる。
この新しい様式に皆が慣れざるをえなかったことで、私のように普段から風邪をひきまくって全然治らない虚弱の民や、子育てや介護などで弱き者を守りながら暮らす人にとっても、少しずつ働きやすい社会になってきたように思います。
私にとって、以前から変わったことはもう一つ。
自分や子どもの健康が不安定であることを、私は学生さんに隠さなくなりました。担当している科目が社会学ということもあり、マイノリティや弱者を、まるで存在しないみたいな扱いにしたくありません。
「病気の子なんて家にいません」みたいなフリで平然と授業をしたら、学生さんたちは病気の子どもやその面倒を看る人たちの存在に気づく機会を失ってしまいます。
学生さんたちが将来、そういえば昔、担当教員が「子どもが病気で大変」だとか、「若い頃にキャリア構築に燃えて寝ないで働いていたらぶっ倒れて医療社会学に興味を持った」とか言っていたなぁと、記憶の片隅に置いていてくれるといいなと思います。
感染症の流行を前提に、オンライン対応が想像以上の広がりで普及したように。
感染症以外でも弱き者や、弱き者をケアする者たちの存在が前提となる社会制度設計が普及するといいなと願っています。