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テヘランのカフェ文化 2

(2) サードウェーブ・サードプレイス

さてずいぶん間が空きましたが、その後のテヘランのカフェがどうなったかという話。

 歴史をたどればイランにコーヒーを飲用する習慣がなかったわけではない。少なくとも16世紀にはコーヒーも紅茶も飲用されていた記録が残っているが、コーヒーの方が人気だった。紅茶が広く飲用されるようになったのは、19世紀以降である[Matee 1996]。以後はコーヒーハウスを意味する「ガフヴェハーネ」も紅茶を出すし、ティーハウスを指す「チャイハーネ」も紅茶を出すという状態が続いた。両者の違いは、端的に言えば店のサーヴィスの違いと客層の違いである(この点についてはまた別の所で)。
 紅茶にせよコーヒーにせよ、飲み物だけをオーダーして1人でゆっくりできる場所があるというのは私にとってありがたかった。フィールドワーク中にはどうしても空き時間ができる。外出先で予定の時間になるまで待つための場所が必要になるが、カフェが増えたおかげでその時間をつぶすことが容易になった。
 水タバコと紅茶を出すチャイハーネは時間をつぶす場所にはなるが、本を読んだり書き物をする場所ではない。基本的には男性たちが仕事の合間に一服して立ち去るか、仕事終わりに常連たちと話に興じる場所であり、場合によっては女性の立ち入りは断られる。これは差別や男女の隔離云々というよりは、店の雰囲気を壊されたくないという意味合いの方が強いように思う。ともあれ、女性である私が一人で過ごすとしたら、レストランで空腹でなくても一品頼んで食後の紅茶で粘るか、ファーストフード店で甘い炭酸飲料を飲むぐらいしかなかった。
 カフェという空間がテヘランのミドルクラスの人々の生活を変えていったのは間違いないだろう。家庭と職場や学校の間にできた、長い時間を過ごす場所としての「サードプレイス」(レイ・オルデンバーグ)が出現したのである。下の写真は、私がかつて通った語学学校の近くにできた「Sam Cafe」の様子である。

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 長いテーブルに見知らぬ人々が隣り合わせて座り、人目を気にせず(または敢えて気にしながら)話に興じる。あるいは、一人で読書や書き物や勉強にいそしむ。窓際の席では男女が話し込んでいる。長いテーブルはテヘランのカフェの中でも特殊である。関係者によれば、最初お客たちは他の客と離れて座りたがったが、次第に長いテーブルに集うようになっていったという。隣り合わせた人とほんの少し会話を交わして、また自分たちのグループで話し込む様子も見られる。チャイハーネでも同じようなコミュニケーションはあると聞くが、同じ地区の男性という同質性の高い人々からなるチャイハーネよりは、より開かれた空間なのである。
 イランは国内で紅茶を生産しているが、コーヒーは生産していない(はず)。2017年10月31日付のJam-e Jam紙の記事によれば、コーヒーはぜいたく品として輸入に際して高い関税をかけられており、販売価格もそれに従って高くなっている 。2017年時点でもそのように報じられているものの、カフェブームのおかげなのか価格の面でもコーヒーへのアクセスは年々容易になっていった。その行きつく先が、前回話したような地下鉄の持ち帰り専門のコーヒースタンドだった。テヘランの人々が、カフェという場所を消費するだけではなく、コーヒーそのものを消費するようになったのである。
 なぜ急に人々はコーヒーを嗜好するようになったのか。人類学者シドニー・ミンツ(1998)がいうように、食の大部分は「味とは無関係」であり、コーヒーもまた薬である、おしゃれである、等々のイメージとともに世界中に広がっていった。テヘランでのコーヒー人気も、カフェという場の雰囲気によってもたらされたと見てよいだろう。粉を煮出して沈殿させて飲むトルコ・コーヒーやインスタントコーヒーは以前にも存在していたが、豆の焙煎にこだわったドリップコーヒーやカプセル式コーヒーメーカーが広く飲まれるようになったのはカフェブームを介してのことである。
 前出の「Sam Cafe」は、アメリカ西海岸式のいわゆるサードウェーブ・コーヒーを出している。色が薄く酸味の強いコーヒーはテヘランの人々にとってなじみのないもので、日本でもそうであるように今後も主流になるとは考えにくいが、人々の嗜好の幅を拡げるのに一役買ったといえるだろう。

参考文献:Matthee, Rudi (1996) "From Coffee to Tea: Shifting Patterns of Consumption in Qajar Iran." Journal of World History, 7(2): 199-230. 

(つづく)次回は「カフェの多義性と多様化するカフェ」について


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