見出し画像

二十歳の頃2024(10)ラジオDJ・落合健太郎さんにきく

今回取材させていただいたのは、ラジオDJとして活躍されている落合健太郎さん。大学受験の時に落合さんのラジオに支えられた経験があり、今回取材をお願いしました。落合さんは1974年生まれ。お父さんの仕事のため小学5年生から大学までアメリカで過ごし、帰国後は2000年からラジオDJとして活躍。現在、FM802の「ROCK KIDS802 OCHIKEN Goes ON!!」と「Chillin’ Sunday」の2つの番組を担当し、Apple Musicのラジオ番組「J-Pop Now Radio」でもDJを務めています。(聞き手・濵田乃=2年) 

――二十歳の頃、どのように過ごしていましたか

アメリカのケンタッキー州という保守的な場所に住んでいました。そこから抜け出したいと思って、インディアナ州の大学に進学したんだけど、そこも田舎だったんです。

――通っていた大学はどんな学校でしたか

小さいながらすごく自由な校風で、平等主義を大切にしていて、教授との距離も近かったです。 

ーー当時はどんなことを感じていたのでしょうか

周りにビジョンを持っている人たちがいっぱいいるのに、「自分には何もない」と思って悶々としていました。

――アルバイトの思い出はありますか

長期休みになると、自宅近くの日本食レストランで働いていたんですよ。若い日本人のバイトがいないから重宝がられて。家から離れた場所に2店舗目ができることになり、そこのバイトリーダーを任されました。

――日本食レストランに来るのはどんなお客さんだったんですか

日本人も多いけど、日本食に興味があるアメリカ人のお客さんも来たかな。枝豆を皮ごと食べちゃうお客さんとか、ざるそばのつゆをそのまま飲んじゃうお客さんもいたね(笑)。

――そこで働いた経験で役に立っていると思うことはありますか

自分とは世代も人種も違う人たちと一緒に行動することで、人生を垣間見ることができた気がして、それは今でも役に立っているかもしれない。楽しかったな〜。 

――在学中に演劇を始めたとのことですが、演劇をやろうと思った決め手は何でしたか

自分を変えたいと思ったことですかね。目立たない方が平穏に暮らせると思って生活していたんだけど、「もっと表現したい」みたいな思いがふつふつと生まれたんです。

――それで、挑戦した?

うん、もうそれだけ。そこで「表現するって楽しいじゃん」と気づいた。今思えば自分にとってターニングポイントだったかもしれないな。

――演劇をやり始めてから、夢を持つようになりましたか

そうだね。積極的に活動するようになったし。でも、気づいたら勉強がおろそかになってて……(苦笑)。大学をやめてニューヨークの演劇学校に行きたくなったんだけど、親には「大学は卒業してくれ」って言われた。「とりあえず大学は卒業しよう」と気持ちを切り替えました。

――なるほど

やっていない時や憧れを持っている時は、なんでもできるような感じがするんです。けど、「できないな」「難しいな」「ちゃんと勉強しなきゃダメだな」みたいな感情は、やってみて初めて気づくと思うんですよ。

――アメリカで暮らしてよかったと思うことはありますか

アメリカに住んでいたということが武器になるというか。 日本に帰ってきて気がついたかな。

――アメリカにまた住みたいとは思わないんですか 

あまり思わない。アメリカは本当に人種差別があるんですよ。「あいつ、ちょっとわからない」となると除外される、みたいな。体験した年齢が若い頃だったことが大きいのかもしれないけど、自分にはそれが結構深く残っています。 

――差別。いつの時代にもあるような気がします

自分たちが把握できてないことに対して、人は恐怖心を抱くからね。 

――当時、不安やネガティブな感情はありましたか

めちゃめちゃありましたよ。父親の仕事の都合で、期限もなくアメリカに住むことになって。他の人には感じられない「自分の人生、どうなるんだろう」みたいな思いも抱えていたかな。それもあって、自分で何かを選ぶっていうこともしなかったというか。だから、演劇のクラスを辞めて「大学卒業して、日本へ帰る」という明確な目標ができた時はホッとしたかもしれないな。

――不安な思いをどのように消化していましたか

演劇をやっていた時はそれが一番楽しかったかな。やっとここが自分の居場所なのかもしれないって思えたから。

――夢中になるものを見つけることって大切なんですね。今は演劇に対してどう思っていますか

演劇って難しい。演劇をやっている人は本当にすごいと思う。たぶん、演技やっている人は「演技をしている」感覚じゃないと思うの。逆に僕は「ラジオDJをしている」という感覚はない。ということは、こっちが向いてるんだなって。

――落合さんにとってDJは天職だ

わかんないけど、そういう感じがするかな。

――二十歳の頃と変わったこと、変わっていないことを知りたいです

変わった部分という意味では、何がしたいのかというのが明確になったこと。でも、基本的に変わっていないと思うんですよ。変わらずに音楽は好きだし。楽観的なところも変わっていないかな。 

――やりたいことが明確になったのはどうしてですか

周りの環境が作ってくれたというのはあるかな。環境が人を作ると思っているから。

――今の二十歳の人にどんなメッセージを送りますか

もっと旅をしなさい!

―― その言葉、めっちゃ言われます

自分の知らないことに触れることで違いを感じることって大事だと思う。自分のアイデンティティが凝り固まる前にね。

――大人になってからどこかに行くのとは違うんでしょうか

全然違うと思うよ。年を重ねると、それまでの経験が変な物差しになることもあるから。お金がないとか時間がないとか、ないことを言い訳にしていたけど、「ないなら作りゃいいんだよ」って今になると思うね。作ろうとする努力が大事だったりもする。

――今後の夢はありますか?

夢って、目の前にあるものと一つ一つ向き合った先にあるんじゃないかなと思っている。自分も世間も変わるしね。目標を持つことも良いことだけど、持たなくてもいいと思っています。 

――では、日々の目標は?

ラジオという媒体を通して、誰かが音楽と出会うきっかけになってほしい。25年近くDJをやっていて、ようやくここ数年で「音楽を聴くというのはどういうことか」が自分でわかってきて。自分がどうしてこれをいいと思うのか、それをどうリスナーやアーティストに伝えたいのかっていうことをすごく考えるようになったかな。今は日々その言葉を探しています。 

話を聞いて、落合さんの目の前のものにしっかり向き合う姿を見習いたいと思いました。同時に、落合さんが多くのリスナーに愛される理由がわかった気がしました。お忙しい中インタビューさせていただいた落合さんに、心から感謝します。本当にありがとうございました!(濵田)