現代資本主義の金融経済(10)

2. 新興国経済の台頭
③ 中国のテークオフと限界
中国は、鄧小平の「南巡講話」(1992年)以降、改革開放をいっそう進める政策をとってきた。この時代には、旧ソ連で権力を握ったエリツィン大統領が、ソ連自体を解体するという事件が起きており、中国においても、指導部内で「社会主義堅持」を主張していたグループの影響力が低下していく過程があったと思われる。
この結果、中国は、積極的に外国資本を呼び寄せ、経済成長を追求していくこととなる。当時の中国に外国資本が求めたのは特区における安い労働力であった。繊維や家電の組み立て加工部門など労働集約的な軽工業によって外貨を獲得する工業化が進行した。21世紀に入ると、中国は「世界の工場」とも称されるようになる。先進国で消費される工業製品のかなりの部分が中国製となった。
中国の輸出額をみてみると、1999年には1,949億ドルだったが、2013年には2兆2,100億ドルにまで増加している。14年間で10倍以上である。途中2009年はリーマンショックの影響で一時的に減少したが、2010年以降大きく回復している。中国製品は、すでに多くの先進国の軽工業品市場において大きなシェアを得ており、今後の増加ペースは緩やかになってくると予想される。
こうした輸出志向の工業化が成功したことで中国は莫大な貿易黒字を稼ぎ、したがって対外的には「資本輸出国」となった。ただちに外国への企業進出が増大しているわけではないので、現時点では米国債を中心に証券投資など金融的な「資本輸出」であるが、国際金融市場に大きな影響を与える存在となった。
こうした好調な輸出を背景に、国内需要における主導役は「固定投資」であった。固定投資には機械設備もあれば、工場などの建物、またそれらを支える港湾や道路、エネルギー関連などのインフラも対象である。近年は住宅も大きな役割を果たすようになり、大都市部での住宅価格の上昇とあいまったバブル的なブ-ムを創り出してきた。
こうした投資に偏った高成長は持続可能性が低い。投資に偏っていた場合、本来投資によって形成されるストックは民間事業に供されるものであろうと公共的な利用に供されるものであろうと、活用されて初めてリターンを生じる。しかし、投資が大きいということはストックの形成速度が速いということであり、過剰なストック形成が行われてしまうと、そのストックの多くは活用されず大きな経済的無駄を生むことになる。また過剰ストックが顕在化した時点で、今度は投資を大きく絞り込んだり、既存のストックを廃棄したりせざるをえないようなストック調整が大規模に起きる可能性があり、これは長期不況につながり、雇用調整も深刻なものになる可能性がある。経済成長の型という点からは、より消費主導にシフトさせていくことが持続的な経済成長のために必要な経済構造改革の課題である。
また高成長を実現してきた中国経済には、成長の裏側に見過ごせない問題が生まれている。第一には、個人間の所得および資産格差の拡大である。事実上、かなり大規模の民間資本の利潤獲得=資本蓄積を認めていることで、一方で大資産家が生まれ、一方で地方からの出稼ぎ者を中心に低賃金で搾取され放置されている労働者・農民層が存在している。また、それを反映して、地域的には都市と農村の格差が拡大してきた。
沿海部の工業化の中で、出稼ぎ農民工として、低賃金のままで低所得層を形成している問題の解決の第一歩は、都市戸籍をこうした農民工に与えることである。中国当局はようやく戸籍制度の改革に動き出したが、各都市での制度も違い、年金制度をどうしていくかなど課題もある。
一方、部分的ではあるが、金融不安の芽が出ている。一部の理財商品(投資信託などの金融商品)に破たんしたものがでてくるなど、これまで銀行システムの外側で発達してきたいわゆる「シャドウバンキング」に動揺が起きている。国内での金融不安的な要因があったり、中央銀行の対バブル引き締め的政策が行われたりしているためか、中国企業の国際金融市場からの外貨資金調達が増大している。こうした動きは、これまでの日本のバブルの最終期やサブプライム・ローン問題や欧州ソブリン危機に至る状況と似通っている。中国経済は、特に金融のサイドから大きな困難に直面しているのかもしれない。
中長期に中国経済の将来を考えていくと、予想される高齢化の問題に突き当たる。経済成長率が低下していくのは必然であり、それに備えた経済構造転換が必要である。また格差拡大問題は、市場経済化を推進していく限り、根本的な解決はないだろう。李克強首相が「権力のレントシーキング行為・腐敗現象の隠れ場所を無くさなければならない」と語っているように、共産党政権は「不正」にたいする強いスタンスを示すことで多くの国民の不満に対応することを当面の課題としている。

④ アジアの金融市場
中国の世界第二位の経済大国への台頭は、アジアにおける国際金融センターの位置関係を大きく変えた。かつて80年代までは、東京の役割は大きく、またその国際金融センターとしての地位は、ニューヨーク、ロンドンに次ぐものであったと思われる。しかし、その後、日本の金融がバブル崩壊後の不良債権問題によって機能不全に陥り、国際金融市場としての魅力も薄れていった。とくに非居住者預金の取り込みや、それをベースにした非居住者の取引市場としての展開は非常に微々たるものであった。
これに対して、国際金融市場としてのシンガポール、香港の台頭は目覚ましかった。アジア新興国では輸出重視の経済成長で獲得した外貨の運用先を確保する必要も大きく、オフショア市場が整い、比較的自由な運用が可能なシンガポール、香港に資金や金融機関が集まっていった。シンガポールと香港は似た性格をもつ国際金融センターとして競争し、金融税制のうえでも源泉徴収課税を廃止するなど金融資産の運用の利便性の高い市場となった。

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