政治主導で大幅な金融緩和へ舵切った安倍政権

2013年3月執筆
                              北村巌
日銀新体制
アベノミクスのいわば公約でもあったのが日銀の緩和政策の積極化である。安倍首相やその周辺はデフレが長期化している原因として金融緩和が不十分であったことを重視してきた。特にブレーンとされる浜田宏一エール大学名誉教授は、マネタリスト的な立場からきわめて強く従来の日銀の姿勢を批判してきた。安倍首相も、これまでの白川日銀総裁を中心とする体制を大きく変更する必要があるとして、任期満了を期に総裁、副総裁を考え方の違う緩和積極派の人物に入れ替えることを表明してきた。これを受け、白川総裁は副総裁の任期に合わせて辞任することとなり、完全には任期を全うできないという事実上の「制裁」が課されたのである。
日銀総裁には財務省出身でアジア開発銀行総裁を務めてきた黒田東彦(くろだはるひこ)氏が国会に提示された。黒田氏は財務省時代から日銀の金融緩和姿勢が不足しているとの批判を行ってきた経過があり、より積極的な金融緩和論者とみられている。また国際金融の事情に詳しく、英文の論文も多数発表するなどアカデミックな理論的水準を持った人物と評価されている。黒田氏は3月4日に衆議院で同意を得るための所信表明を行ったが、「日本がデフレを脱却して持続的な経済成長に復するということはアジアにとっても世界経済にとっても重要であり期待されている」とデフレ脱却の国際的意義を強調した。これは、海外に一部ある円安への批判的見方への反論でもある。「日銀としてなすべきことは、大胆な金融緩和でデフレから脱却し、2%の物価目標をできるだけ早期に実現することだ。」「いつ達成できるかわからないのでは、物価目標にならない。グローバルスタンダードは2年程度で、当然それを目指すことになる。2年というのは適切なめどだと思うが、政府・日銀の共同声明、日銀政策委員会の決定を踏まえ、できるだけ早期に達成するよう、全力を挙げていきたい。」「あらゆる手法を講じ、何としても、できるだけ早期に目標を達成する必要がある。デフレ脱却、物価安定の責務は中央銀行にある。」などと2年をメドにインフレ率を2%に持っていくべく積極的に緩和政策を行うことを表明した。
一方で、黒田氏は、「財政ファイナンス(国債を買い続けることによる財政の穴埋め)は、中央銀行として考えるべきではない。また、為替介入を行うのは現行法の下では財務省であり、日銀の役割でない。」とし、「政府・日銀の共同声明で2%の物価目標にコミット(誓約)し、決定したことは日銀の独立性に矛盾するものではない。」と、政府と日銀の役割の違いを指摘し、日銀の独立性を重視する姿勢もみせている。
これに対し、副総裁候補として提示されている岩田規久男学習院大学教授は金融論を専門とし、これまで日銀の緩和姿勢が不十分と批判を行ってきた学者の中でも急先鋒であるといえる。岩田氏は衆議院での所信表明で「需要を供給能力まで押し上げてやるのが金融政策の基本的な役割」とし企業が金余りで設備投資に消極的な現状を変えなければならないとの認識を示した。企業部門で経済バランスが崩れているという正しい認識を強調した総裁、副総裁はこれまでいなかったと思う。
もうひとりの副総裁として提示された中曽宏日銀理事は、日銀内の国際畑出身であるが、筆者が聞いたことがある講演内容などからして、リーマンショック、欧州ソブリン危機の分析など欧米での資産デフレ状況への理解は深いと思われる。衆議院での所信表明では「デフレ脱却に向けた好機を逃さないように強力に金融緩和を進める。金融政策にはなお工夫の余地があったと思う」とした。
このように日銀の執行部は大きくさらなる金融緩和を志向する人物に大きくシフトする。問題は実際に緩和を進められる手段に大胆に取り組むどうかであり、それはこれからの実行力にかかっている。すでに為替市場は円安に振れたり、株価上昇が起きたりと期待が先行しており、実際に何ができるのかが問われる時期がすぐに来るだろう。

日銀の量的緩和政策の実際
リーマンショック(2008年9月)を機に、日銀は再び金融緩和の道に踏み出し、まず2008年10月31日に、コールレート(オーバーナイト)の誘導水準を0.3%へ0.2%引き下げることを決めた。さらに2008年12月19日の金融政策決定会合でコールレート(オーバーナイト)の誘導水準を0.1%に引き下げ、相当程度、事実上のゼロ金利政策に近くなった。金融緩和政策としてさらに様々な緩和策が講じられてきた。「金融市場の安定確保のための措置」ということで、ドル供給オペの実施、拡充や国債現先オペの対象に変動利付債、物価連動債、30 年債を追加したり、国債補完供給の最低品貸料を引き下げたりする(1%→0.5%)などの措置がとられた。量的緩和にも踏み込み、国債買い入れペースを、2008年12月19日年間16.8兆円ペースに増額、さらに2009年3月18日年間21.6兆円ペースに増額した。
こうした対策にもかかわらず円高が止まらなかったため、2010年10月5日には以下の「包括的金融緩和政策」がとられた。(1)金利誘導目標の変更 無担保コールレート(オーバーナイト物)を、0~0.1%程度で推移するよう促す、(2)「中長期的な物価安定の理解」に基づく時間軸の明確化、(3)資産買入等の基金の創設 国債、CP、社債、指数連動型上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(J-REIT)など多様な金融資産の買入れと固定金利方式・共通担保資金供給オペレーションを行うため、臨時の措置として、バランスシート上に基金を創設することを検討する。実際に基金は同月28日に「資産買入等の基金運営基本要領」が制定、即日実施された。
2011年3月11日に東日本大震災が起こると、その経済的影響に対応して、3月14日に「金融緩和の強化」として資産買入基金の枠を40兆円程度に増額した。その後も基金の増額によって緩和を進めるという方法をとり、2012年12月20日には101兆円まで増額を行った。
このように、日銀はこれまでも量的緩和政策を実施してきた。しかし、それが不十分として批判されてきた背景には、日銀執行部の日銀のバランスシート健全性を維持しなければならないとの姿勢が強かったことがあげられる。不換体制の下で通貨の価値を維持する要素のひとつが発券銀行である中央銀行の財務的な健全性である。日銀は民間銀行のようにこの健全性にこだわり、したがって円という通貨の価値が維持するように政策を採り続けた。

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円高を克服するとか、デフレを脱却するとかいうのは、円の価値を下げることであり、したがって日銀のバランスシートが健全すぎては実現できない。リーマン危機や欧州ソブリン危機が起きて、欧米でいっせいに大幅な金融緩和が行われ、通貨価値の維持に疑念が抱かれた一方、日本の金融緩和は不十分で日本銀行が通貨価値の維持にこだわっていてからこそ、円が選好され円高になったのである。
もちろん流通する通貨としての信認を失うほどにバランスシートの健全性を損なっては元も子もない。日銀は量的緩和という点では、確かに国債を中心にした証券購入を基金をという別枠を作る工夫をしながら行ってきた。そのことで日銀のバランスシートの拡大をさせるという実績はあった。しかしながら、これまでの日本銀行の「量的緩和」はバランスシートの健全性を損なわずになるべく大きな量であるとの印象を持たせるように策定されてきたといえる。もっとも、まったくリスクをとらなかったわけではなく、株価指数連動型上場投資信託や不動産投資信託といったリスク性資産を購入してきた。ただしこれも総額としてみると、1兆円6千億円程度(3月4日現在)でしかなく、かつて直接に株式の購入を行った残額が約1兆円5千億円残っており、あわせてもリスク資産額は3兆円強である。日銀のバランスシートの規模、発行銀行券残高の規模からみればわずかでしかない。
もうひとつの批判はインフレに対する容認姿勢の問題である。日銀は伝統的に「インフレ目標」を持って政策運営することに批判的であった。デフレ脱却のためにプラスのインフレ目標を持つべきとの一部学者等の意見に対しても、政策運営の柔軟性や総合的政策判断が損なわれるとして否定的であった。しかし、円高もあって慢性的な物価下落基調が強まり日銀への批判も強まる中で、2012年2月14日、消費者物価上昇率の前年比1%を物価安定のめどとするいわゆるインフレ目標の公表を開始した。一時、市場には日銀の緩和姿勢が大きく前進したとの認識が広まり、円安、株高が起きたが短期的に終わってしまった。
再び日銀の緩和姿勢が不十分との批判が強まる中、日銀はさらに12月にインフレ目標を2%に引き上げた。これは衆議院選挙で金融緩和を強く主張した自民党が勝利したことへの配慮であった。日本銀行は、結果として高めの実質金利が維持される政策を採ってきたが、これは金利生活者の利害を守るためにそうしてきたのではなく、日銀のバランスシートの健全性と円への信認を守ることを使命としてきたからである。日銀の新体制への移行によってこうした従来の理念との決別も迫られているのである。

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必要な実質金利マイナス政策
現在の日本の長期的なデフレ的経済状況は90年代のバブル崩壊に端を発する。これに対して、十分な金融緩和がされなかったことが不況を早期に克服できなかった要因であるとみるのが、「アベノミクス」賛成派の見解だろう。しかし、90年代のバブル崩壊は80年代のバブルの反動であり、それ自体を防ぐことは不可能でせいぜい崩壊の速度を緩くするくらいが可能であったといえるのではないか。不況の本質は実物ベースでの過剰投資の結果として形成された「過剰生産能力」であった。能力の調整が進まないことには景気の回復は本質的には訪れない。しかし、不況は同時に不動産価格と株価の大幅な下落、あるいはバブル的上昇の反動という資産デフレを伴うものであった。これが生産能力の調整以上に日本経済の長期停滞をもたらした要素だった。これに対しては、資産価格下落によって生じた銀行部門の不良債権の問題や債務者の支出抑制につながる債務デフレに対処することが必要だった。不良債権を抱えた銀行は、金融緩和で金利が低下してもリスクを増加させることになる貸し出しを増加させる行動はとりづらかった。利益は過去に生じた不良債権の穴埋めに使わざるを得ないからである。バブル期に不動産購入した個人や企業もバランスシートの悪化、個人の場合はおうおうにして実質債務超過の場合もあったので、債務削減が優先課題となり支出の抑制=消費や投資の停滞が起きた。こうした事情が債務デフレにおける景気停滞の構図を形作る。
資産価格の大幅な下落が一巡した95年以降についていえば、銀行部門の不良債権処理を迅速に行っていれば、日本経済が債務デフレ的な要素を早期に脱却できた可能性は高い。もちろん、実物の設備投資の循環、とくに建設投資の循環という要素を考慮してみれば、本格的な景気拡大は無理であったのではあるが、デフレ的な経済状況を長期化させることにはならなかったかもしれない。
これは単に金融政策がタイトすぎたという問題ではない。当時の日本でも実質金利をマイナスにするくらいの緩和を行っていれば債務デフレ状況をかなり緩和することは可能だったといえるだろう。

リーマンショックはそのショックへの対処として米国政府の財政赤字を一挙に膨らませた。欧州諸国は周縁国を中心に財政赤字問題が金融危機を起こす問題として経済危機を経験してきた。どちらも実質金利を大きくマイナスにするような金融緩和を行い、さらに量的緩和に踏み込んでいるといえる。
実質金利をマイナスにしておくことは、政府債務のスパイラルな増大とデフレ危機に至ることを阻止するための方策でもある。こした、金融の超緩和は市場心理の悪化による流動性の問題で金融機関が連鎖的に破たんすることを防止するだけでなく、マイナス実質金利によって債務デフレを緩和することである。
政府債務を増税や歳出削減なしに軽減するためには利子を実質的にマイナスにすればよい。例えば、国債の金利が1%で物価が2%上昇すれば、実質的には1%国債残高が減少したことになる。実際、現在、米国や欧州の先進国で超金融緩和を行っている結果、現在はほとんどの期間の金利がインフレ率より低くなって実質マイナスになっており、これは意識的に行われている政策であるといってもよい。その直接的な目的は流動性の供給による金融システムの安定化であって政府債務残高の実質減少であるとはいえないが、結果とし財政赤字の棒引き効果がでてくることになる。
それでは、この棒引き効果は誰の負担になるのか?実質金利がマイナスであるということは、預金や債券の保有者その分だけ損失を受けるということである。つまり、実質ベースでみたとき、預金や債券の保有者から債務者に資産の移転が行われるということになる。仮に債務者が国家だけであれば、金融資産の残高に税をかけることと、実質ベースでは同じことになる。しかし、実際には債務者は国家に留まらないので、一般的に債務者全体にメリットを与えることになり、景気刺激策としては有効であるものの、資産再分配上の副作用を伴うことになる。また名目的にはプラスの金利が維持されているものの、実質金利のマイナスは一通貨圏のみでは持続できない。金融市場は世界的につながっており、資本移動が自由な先進国間では実質金利は収斂していく力が働くはずだからである。
これは実質金利をマイナスにするのが不可能になってしまった通貨=円を高くすることにつながり、円高はいっそう物価低下につながって実質金利を上昇させてしまうという日本の輸出産業を中心に経済全体にとっても悪循環につながった。

円安の効果
円高の悪循環から抜け出すことがまず日本経済の大きな課題であったことは疑いない。円高そのものをすべて経済にとってネガティブ要因だと見るのは誤りで、デフレ的な状況でその固定化の一環となってしまった円高傾向に問題があったのである。
まず円高なのか円安なのかを、どのように判断すればいいのか?まず、第一の基準は物価であろう。為替レートをはさんで2国の物価水準が一致するようなレートは高くも安くもないレートだと認識できるだろう。こうしたレートを購買力平価と呼ぶ。ただし、各国の財・サービスの相対的な価格差は個々に違う、つまり異なった物価体系であるから平均的に一致するレートというのも実は厳密に推定できるわけではない。例えば過去に経常収支が均衡した時点を基準にして物価指数の比をとっておおよそのメドをつけることは可能である。日米で見た場合、変動相場になって以降、経常収支の均衡していた1973年を基準に企業物価指数と米国生産者物価指数の比をとってみると、92円/ドル程度となる。80円割れではかなりの円高だったといえる。92円からみて10%以上円高だったが、過去をみると、例えば1995年ころは同様の計算をすると40%円高だった時期もあり、今回の円高が今までにないような極端な円高であるとはいえない。この間、日本は貿易赤字傾向に陥った。貿易という観点からは、円高のために輸出数量が減ったというより、欧州危機の影響のほうが深刻であった。またウォンが安かったことは多少日本の電気製品の競争力を殺いだが、これが貿易赤字定着の理由ではない。むしろ、輸入面でエネルギー価格の上昇と原発事故のために原油やLNGの輸入額が増加したことの影響がもっとも大きい。

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為替市場では、2%インフレ目標設定など日銀の姿勢に変化がではじめた2012年暮れから円安へとシフトした。3月半ば現在は円ドル相場で90円台半ばになっている。現在はやや円安と評価できるだろう。しかしながら、貿易赤字の主要因は円高ではないので、多少円安に修正されてもそれで貿易収支が改善するということにはならないだろう。米国など海外景気に左右される要因のほうが大きく、円安が輸出数量にまで影響を及ぼすには時間がかかる。



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