バブル後の不況の性格
(1993年1月執筆)
北村 巌
今回の不況について「特殊」視する議論が盛んである。もちろんどの不況もそれぞれに性格をもってはいるが、過剰生産(蓄積)が本質であることには変わりはない。
資産価格は基本的には将来期待される収益(土地なら地代、株式なら配当)を割引率で現在価値に直したものの総計であるが、割引率は利子率とリスクプレミアムから構成される。バブルといわれる世界的な資産インフレは、貨幣資本の世界規模での相対的過剰の反映としてリスクプレミアムが大きく低下しためなのである 資産インフレは金融自由化によってもたらされたのではなく、貨幣資本の相対的過剰の反映である。金融自由化はいわばそうした過剰状態におちいった貨幣資本の投下先を求める資本の要求から説明されるべきであろう。その意味で、現在の資産デフレを金融自由化の矛盾として捉えようとする「複合不況論」は誤りといえる。貨幣資本の相対的過剰は現代の独占資本主義のもとで宿命的に発生し拡大しその矛盾を発現させていく問題である。独占資本は独占価格の実現(高い製品価格、安い労働力、原材料、部品価格)によって超過利潤を獲得する。超過利潤は売上の一部分として貨幣形態で獲得され、蓄積されていく。この蓄積速度は当然のことながら実物経済における財サービスの需要の増大に必要な生産手段の蓄積の速度をおおむねつねに上回り続ける。
この矛盾にたいする総資本の対策は実物の最終需要の人為的拡大(投資機会の創出)=それへの信用供与による貨幣資本の金融形態での投下先の確保に帰着する。これは発展途上国への貸し込みであったり、財政赤字による需要拡大や消費者信用の拡張であったりする。
八六年の全般的な世界的景気停滞の後、日本と欧州に好況が発生した。これは対米輸出で稼いだ貨幣的蓄積がドル安政策によってこれらの国の内側に向かい、ドル安によるこれらの諸国の交易条件の大幅な改善が内需型景気拡大の条件となったからである。とりわけ最大の経常収支黒字国であり貨幣資本の過剰状態が極まった日本においては強烈な資産インフレが発生した。六大都市地価指数(不動産経済研究所、八九年下期=一〇〇)をとると、八〇年上期一七・四がピークの九〇年上期には一〇四・五と約六倍になっている。
こうした資産インフレがどの程度、実物の財・サービス需要を押し上げたのかは測定が難しい。しかし、投機目的や節税のための不動産投資によってワンルームマンション建設が伸びたり、大都市の中心部が地上げされて代替住宅が需要されたという効果があったことは事実であろう。こうした需要は実現されたキャピタルゲインの総額にほぼ等しいかもしれない。この総額は八六~九〇年の五年間で二〇兆円は超えていると見積もられるが、その実質GNP成長率への寄与度は多めにみて一%程度のものだろう。過大評価もできないが過小評価もできないといった水準である。
資産インフレという起爆剤が景気拡大の契機になったことは事実であるが、いわゆる「バブル景気」の拡大メカニズムは設備投資好況であり、第一次オイルショック以降、縮小均衡的であった設備投資が大きく拡大、加熱していったことが特徴であった。すなわち、文字どおり「合理化の結果としての好況」だった。九〇年以降、金融引き締めによる資産価格下落で、金融機関や不動産・証券業者は打撃を蒙っている。しかし、いままでのところ米国型のクレジットクランチの発生には至っていない。不況のメカニズムはむしろ主要には過大な設備投資ブームの後のストック調整、つまり過剰生産能力の問題なのである。いまのところ金利は低下しているものの現金通貨の伸びはきわめて低率で、金融政策がいままでのところ実質的には緩和的に機能していない。そのためにいっそう設備投資を減退させ景気を悪化させてきた。企業収益の落ち込みで資本の貨幣的蓄積も鈍化している。しかし、独占資本は今回の不況をてこにして、中高年層の首切りに本格的に手をつけようとしている。不況は独占資本に取って労働者のナマ首を切る絶好の口実だからだ。それが財界サイドから政府にたいして景気対策についてなかなか要望がでなかった理由でもある。