(メモ)資本主義と拡大再生産

そもそも人類にとって「拡大再生産」は今後も必要なことなのでしょうか?
先進資本主義国では、資本主義のもとで工業の発展が「生活水準」を向上させることに役立ったのは事実でしょう。十分な食料の確保、適切な衣類、快適な住居、便利な交通手段など物質的な生産力の発達なしには得ることはできません。しかし、人間は物質的な消費を無限に行えるわけでも行う欲望を持っているわけでもありません。食べることができる食料の量には限界があるし、衣服を着る体も一つ、住居は広いに越したことはありませんが、限界はあります。物質的な消費において量の面で豊かさが満たされてくれば、次は質の向上を求めることになるでしょう。美味しくて栄養のある食事、デザインに優れた衣服、機能性のある住みよい住宅を求めるようになるのは自然なことでしょう。また、文化的な生活、すなわち娯楽や教養に対する需要、健康な生活を送るための医療や介護といった分野への需要が生まれ、これらの多くは物資的なモノの消費ではなく、サービス労働に多くを依存することになります。「脱工業化」というわけですが、必要な財の生産がなくなるわけではなく、サービスの生産が増加するという姿です。
しかし、資本主義のもとではこうした生活水準の向上が全ての人々に均等に与えられるわけではありません。資本主義経済ですから生産手段を持つものが労働を搾取し利益を上げることができます。その利益の分配は企業の所有あるいは株式や貸付金の保有によって配当や利子として資産家(資本家)に分配されていきます、労働者と資産家の生活の格差は大きく開いていきますし、労働者の間でも賃金の格差や失業によって格差が生まれます。
資本主義は利潤を上げ続けるために拡大再生産を前提とし、またより高い利潤率を求めて動きます。しかし、必ずしも物資的な生産に限るわけではありません。貨幣が資本として投下され、労働を搾取できる機会が増加すればいいのです。ですから、産業のサービス化を進めてきたのも資本の側です。また、資源の消費を節約することによってエネルギーや部品などの物質的な生産量が減りますが、これは資本にとってコストを減らして利益を増やす手段であり、拡大再生産を志向する一方でコスト減を図ることは資本にとって相反することではありません。しかし、同時に資本にとって剰余価値を得る手段は剰余労働であり、労働力人口の絶対的な増加です。

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