マネーに翻弄される経済
「まなぶ」2009年2月号(労働大学出版センター)
北村巌
年明けにも世界中で多くの労働者が首切りにあっている。職場に残った労働者にも賃下げなど労働条件の切り下げが相次ぐ。現在起きている世界経済危機は金融危機が元凶だとマスコミは報道する。確かに米国の金融危機がきっかけだったことは間違いない。では金融危機が起きなかったら、この経済危機はなかったのだろうか?いったい誰に責任があるのだろうか?
「証券化」という言葉、「金融工学」という言葉はつい2年前まで、金融の最先端をいくものだと思われていた。今では「詐欺」と同じ意味だと思われている。「金融工学」にもとづいた米国の「証券化」市場の急成長が今は金融の大混乱の元凶となってしまった。そもそも、資本主義の発達に証券化はつきものだ。株式や債券といった証券自体が、資本主義の下で企業が事業を拡大していくのに必要な「証券化」だった。
近代的株式会社の源はオランダの東インド会社の設立(1602年)だと言われている。これ以前にも事業プロジェクト毎に多数の出資者から出資を募り、貿易などの事業を運営して、成果を出資に応じて配分するという事業の方法が取られることはあった。しかし、株式という「証券」、つまり権利が対象化されたものを発行して、継続的に利益配分を行うというのはここから始まっている。なぜ株式という事業の証券化が必要だったのか?自らの事業からあがる収益の累積以上に資本を必要としていたからである。つまり証券を発行して資本を集めることで、1人の資本家ではできない大型の事業を可能にした。
株式は利益の分配を受ける権利を証券という証明書にしたものだ。この特徴は譲渡が可能なことで、企業をまるごと売買せずとも小口化されたことで、出資に対する利益の分配を受ける権利を他人に譲渡できる。つまり小口化し流通可能とすることでより大きな資本の集積を行うことを可能にした。債券は同様に借入を証券化したもので元本の返済と利子支払いを証券にしたものだ。これも利潤の分配のひとつの形といえるだろう。
証券による資金調達の方法の最大の問題点は、経営者が自分で出資したり、銀行が貸付を行ったりするのに比べて、事業の状況、資金の使われ方が、資金提供者にはわかりにくいことだ。株式を発行している企業は、会計を公開し、株主総会を行ったりするが、経営者は出資者の代表という体裁をとっているものの、経営者としての自らの独自の利益をもっている。つまり隠せるものは隠しておきたいという動機が起きる。粉飾決算などはその典型的なものだ。粉飾決算は犯罪になるし、ほとんどの国で株価に影響を与えるような重要事実が判明した時には企業はすぐに情報公開しなければならないことになっている。そういう規制を課すことで株式市場が正常に働くように、と考えられてきたわけである。
2002年以降、米国で大きく成長した証券化市場は住宅ローンの証券化だった。住宅ローンは1件辺り20万ドル程度であるから、株式や債券と違い証券化することで大型の事業を行えるというような効果はないはずだ。では、いったい何が目指されたのか?まず、銀行や住宅金融会社が自己資金で行えるローンの限界を取り払い、証券化することで住宅ローンを拡充できると考えられた。つまり、証券化の対象は住宅ローンであるが、実際にはこうした金融機関の資金調達だったと考えてよい。従来行われていた2割の自己資金で返済可能な所得のある人への住宅ローンを証券化しているうちは、ほとんど問題は起こらなかった。そのため中身の住宅ローンの吟味をすることがサボられた。一定の格付けがされた証券化商品は安全だと売り手も買い手も錯覚してしまった。一方で、住宅ローンの規制を緩め、自己資金が3%でも住宅ローンが組めるようなっていった。いわゆる低所得者向けのサブプライムローンだけでなくこれまでプライムとされてきたローンも返済リスクが大きくなっていた。ところが、証券化商品はどんどん複雑となり、住宅ローンの中身を吟味せずに格付け機関が行う格付けが一人歩きしていった。それを加速させていた理由は、金融機関の経営者の強欲だけでなく、住宅ローンの貸付や証券化の担当者たちの報酬が証券化を行えば得られる仕組みになっていたためだ。そのため、中身を吟味せずに貸出や証券化の作業だけを進めて、金融機関には証券化商品の在庫ばかりが膨らむことになってしまった。
ここに登場したのがヘッジファンド(私的に募集する資金運用ファンド)である。ここでも従来からある株式や債券、為替などに投資してきたヘッジファンドではなく、証券化商品を主体とし、信用リスクを対象とするヘッジファンドが事実上破綻したベアスターンズやリーマンブラザーズなどの証券会社によって、あるいは支援されて台頭した。一般に資産家だけでなく、年金基金などがそれまでの成績が比較的良かったことと通常の投資だけでなく投資の型を多様化してリスクを減らそうと考えたため、ヘッジファンドへの投資への投資を増やしていた。なぜならばヘッジファンドの謳い文句は一般的な株式や債券への投資ではなく、その価格変動リスクをヘッジして投資することだったからである。ヘッジファンドは資産家や機関投資家向けの私的なファンドであるため、資金運用の実態を公開するする義務はない。そこでヘッジファンドに証券化商品の信用リスクを押し付けていくことが行われた。それが爆発したのがベアスターンズ傘下のヘッジファンドの破綻であり、今回の金融危機の引き金であった。
今回の危機はこうした金融を担うプレーヤー達の無責任で自己利益を追う行動によってその原因が形作られた。しかし、これも資本主義の原理にそったものであり、マネーの形の資本が過剰な状態になっているからこそ起きた問題だ。マネーが過剰でなければ、こうした無謀な取引はそもそも成立しなかった。規制によって金融機関に無謀な取引をやめさせること自体は正しいが、それが真の危機の解決ではなく、投資の飽和(貯蓄とのアンバランス)を背景にマネーの過剰が起きている状態を変えられなければ、金融ブームと危機は繰り返され、それに実物経済も振り回されることはなくならない。投資の飽和は、利潤の再投下先が相対的に減ってきていることから生じている。企業が利潤を上げすぎていることがマネーの過剰の本当の原因だ。今回のように世界同時危機が起きると、その矛盾がさらに労働者にツケ回しされてしまっている。