年金は大丈夫か

「社会主義」1997年3月号所収(社会主義協会
                                                                                                              北村 巌

はじめに

 1月21日に、国立社会保障・人口問題研究所から、将来の人口推計が発表された。これは5年ごとに行われている推計で、死亡、出生を確率的に扱って求められたものであり、ある程度の合理性をもった数字である。5年前の推計に比べてさらに人口が減少に転じる時期がはやまったこと、人口の高齢化(総人口に占める高齢者の比率)の速度が上昇したことが特徴である。これらは、前回の推計において出生率が回復するとの推計になっていたところをその後の出生率の減少という状況の継続を踏まえて修正した結果である。5年前の推計では人口の減少は20年先のことでありかなり不確かと認識されていたが、今回の推計では人口減少は10年後のことであって、ほぼ確実にくる現実となったといってよいだろう。今回の推計の変更は図1により一目瞭然であるが、また、いわゆる高齢化もより速く進展するということになる。
 このような人口構成の変化は当然のことながら現行の社会保障制度には大きな条件の変化となる。もちろん、高齢化や少子化はすでに予見されたことではあった。しかし、冒頭に紹介したようにそのペースは予想を上回るピッチで進んできている。勤労国民が安心して暮らせるための社会保障制度改革は是非とも必要になってきているといえるだろう。
 ところが、独占資本の側の構えは、この条件の変化の中で、社会保障制度を改悪し、独占資本の側の負担を減らすための梃子として「高齢化」問題を正面に据えてきている。その際に利用されるのは「世代間の不公平」という問題である。現実の情勢をみると、世代間の不公平を是正するための「改革」論の大勢は労働者にとって改悪の方向にでてきている。そのことを、明らかにするためには、社会保障制度の現在の在り方を国民経済全体との関係で捉えなおし、提案されてくる「改悪」の意味を押えて行くことが必要だろう。ここでは、マクロ的な観点から社会保障基金の問題として捉え、とりわけ年金制度について「所得の移転」という点からこの問題を考察してみたい。


 一 公的年金制度の現在

 日本における社会保障制度の基軸は公的な保険制度であり、医療については健康保険制度、年金については年金保険制度が各種設けられてきた。これまでの制度改革は基本的な枠組み=本人負担と使用者ないし公的な負担の組み合わせを崩すことなく、各種の制度を一本化することが主な狙いであった。また、70年代前半の労働運動の高揚によって、例えば、年金のスライド制などが勝ち取られたという改善点もあった。しかし、これが本当に「勝ち取られた」ものとして実現するのかは今後の高齢化に直面する中での闘いにかかっている。
 年金制度は86年の改定で老齢基礎年金制度を柱にして、国民年金、厚生年金、共済組合また付加的部分のために厚生年金基金、国民年金基金が設けられるようになった。一本化を目指す改定により、戦後さまざまな経緯と時期のずれをともなって発足した各年金制度は、現在は老齢基礎年金を共通のベースにもつ制度となっている。94年改定では、老齢基礎年金の支給開始年齢の段階的引き上げ、給付水準をこれまでの税・社会保険料込みの賃金水準にたいしてスライドさせていたのを、税・社会保険料控除後のいわゆる手取り賃金の水準とスライドさせることとなり、実質上将来の給付水準を切り下げるものとなった。
 また、こうした基礎部分の共通化、一本化の一方で、厚生年金基金や国民年金基金の制度により付加的な給付をそれぞれ積み立て方式で行う制度、これも積み立ての適格退職年金など企業年金、税制上優遇される民間による保険による年金の制度がつくられ、「自助努力」による老後対策が奨励される体制となった。公的年金制度はミニマムであって、あとは「自助」という枠組みへ着々と布石が打たれている。
 ところで、表1にみるように、現在ではすでに年金の給付額は負担額を上回っている。ただし、これに国庫負担、地方自治体負担が加わり、すでにある資産の運用益が加わる。これまでの黒字の累積によって、年金基金全体でおよそ200兆円規模の金融資産(93年度末で178兆円の積立金)を保有していると見積もられる。この資産からの運用収入は約9兆円にのぼる。このように、年金の資産は巨額になっており、事実上財政投融資の源資ともなっているのである。社会保障基金全体の金融資産残高(国民経済計算年報)でみると、94年度末で205兆円であり、資金運用部への預託金が125兆円を占めている。つまり、政府の投融資政策のための資金として機能しているのであり、その多くが実質国債の購入に充てられている。このような社会保障基金の資産は現在想定されているような保険料率の上昇があれば、給付が負担を上回ってもしばらくは拡大が続いていくであろう。

二 財政再計算と年金制度の設計

 公的年金については5年に1回、「財政再計算」が行われる。これは厚生省年金局が、将来の経済環境についての仮定(賃金、物価、金利)のもとに、年金財政の将来像を計算し、適正な保険料率を算出するものとされる。前回の94年におこなわれた再計算では、厚生年金については5年ごとに2.5%づつ引き上げ2025年には30%近くとなる計算であった。国民年金については、94年価格で現在月額11、700円を2015年に21、700円に引き上げる。この計算では、賃金上昇率4%、消費者物価上昇率2%、金利5.5%という仮定がおかれていた。また、積立金は、2060年の時点でもある程度残るように設計されている。厚生年金で給付額の2.2年分、国民年金で2.1年分である。
 この計算は前記のような前提をおいた限りは正しい推計であるが、しかし、その姿は今後の経済の動きに依存しているのであって、特に金利(運用利回り)と手取り賃金上昇の関係が問題となる。この差が大きいときは実質的に積立金の増大が続き、逆に差が小さい時は実質的に積立金の減少につながる。資産の運用収益は金利に依存、実際資金運用部への預託は国債利回りに連動する一方、給付は手取り賃金の上昇に連動する設計になっているからである。また、負担する人口がどうなるのかというのも大きな要因である。
 今回の人口推計を受けた次回の財政再計算は相当に厳しい内容になることは避けられないであろう。前回の推計に比べ一貫して生産年齢人口は小さいものとなっているからである。これは、現在の制度を前提とすれば、計算自体は非合理なものではない。保険料率の上昇を前倒しで行うか、年金給付の水準を引き下げるかの選択になる。すでに、厚生省は年金給付の切り下げを行ったケースを計算し国民に同意を求めることを考えていると伝えられる。
 しかし、こうした国側の姿勢に対しては、ブルジョアマスコミからも批判が向けられている。いわく、国の姿勢は財政投融資の源資となる積立金残高を守ることを前提にしていて、高齢化が進めばこれまで団塊の世代が「貯蓄」してきた年金積立金が減少するのは当然のことだという論理である。結論は負担(保険料率)の引き上げをもっと緩めよというものだ。
 この論点の相違は、保険料率の上昇で使用者負担が増加する民間資本の利害と、財政投融資を守ろうとする高級官僚との利害の違いを表現している。つまり、独占資本家階級内部の論争でもある。労働者の立場からすれば、過剰な負担も給付の切り下げも大きな経済的損失であり、民間資本側とこの点では同一の利害をもつ。しかし、民間資本といえども社会保険財政が破綻することによって(企業への)増税につながることには危機感をもっており、彼らが一貫した態度をとる保証はない。むしろ、「世代間不公平の是正」を旗印に公的年金制度を積立方式へ改変し、さらに縮小、民間保険の充実に解決を求めていく姿勢である。これは、保険会社をはじめとする金融資本がもっとも求めている道でもある。

三 世代間不公平は本当か

 現在の公的年金制度の設計の基本は「賦課方式」であると言われる。これは、つねにその時点の生産人口がこれを支えるものである、と説明されている。しかし、これは正確ではない。前節で見た財政再計算のやり方にも現われているように、積立金の運用収入、つまり保険料負担ではなく、貨幣資本として搾取の一部を獲得していくことが、システムとして組み込まれているのであり、その部分が将来の年金財政をみる上でも大事なキーボイントなのだ。であるから、そうしたしくみを前提にした世代間不公平の議論を単純に受け入れるわけにはいかない。
 まず、公的年金制度について代表的な「世代間不公平」論をみてみよう。ここでは、日本経済研究センター会報97年1月号に掲載された八田達夫(大阪大学社会経済研究所教授)「望まれる分配中立的な制度の総合的デザイン」をとりあげてみたい。
 八田教授はまず94年改革が年金財政に効果大であったと評価する。負担面では、ボーナス保険料の導入、保険料引き上げの前倒し、部分年金制度の導入があり、給付面では、基礎年金支給開始年齢の引き上げ、給付の手取り賃金へのスライド制への変更であった。この変更の効果を大阪大学・専修大学年金モデルでシュミレーションすると、将来の積み立て金残高は大きく引き上げられ前制度では2035年で残高が枯渇していたものが94年改正で2070年でも残高は残る形に変わった、としている。世代間不公平については、生涯受給率から生涯保険料率を差し引いたネット受給率を用いると、1960年生まれを境に、それ以前の層にそれ以降の層からの所得移転が生じるとしている。このネット受給率を決める生涯保険料率は、生涯に支払う保険料の現在価値の和を生涯受け取る賃金率の現在価値の合計で割ったものであるという。また、生涯受給率は、生涯に受け取る年金給付の現在価値の和を生涯受け取る賃金率の現在価値の合計で割ったものとしている(国庫負担分についてどのように扱っているかは不明)。問題はここでの現在価値への換算の方法である。この講演録には詳しく記載されていないが計算結果から推察するに利子率を使って現在価値に換算する方法を取っていると思われる。こうした方法の問題点は過去の保険料支払いを単に貨幣的貯蓄とみなすことを前提としていることであり、労働時間による寄与とはみなさないことである。これから退職年齢を迎えつつある高度成長時代初期に就職した人々の過去の労働を評価するにあたって利子率を利用するが適切かどうか。特に、60年代までは規制的金融制度で成長を支えるために利子率が低く抑えられていたこと、70年代のインフレ時に実質金利がゼロ近傍になってしまっていたことを考えると、利子率による評価の方法は、貨幣的貯蓄の評価にはなっていても、もっと一般的に世代間の公平を図る尺度として有効なのか、疑問である。
 次に示してみたいのは筆者の試算による数字である。ここでは、公平性を計る指標としてこれまで支払ってきた保険料が何年分の労働年数に相当するのかを概算で算出した。表2は、40年間勤続し厚生年金負担をおこなった労働者が退職時点で、何年分の労働年数を支払ってきたのかをみた数値である。将来の保険料率については前回の財政再計算による見通しを用いた。当然であるが、ここでは、使用者負担も含めている。これも「雇用者所得」の一部であり、労働者の生産した価値の一部だからである。基礎年金が支給されるのが65歳、60-65歳で部分年金が支払われるとすると、それを考慮した平均的な受給期間は18年程度であって、その期間分の労働年数に相当する負担を行ってきたのかどうかを考えることで、退職時期の違いによる公平性の評価をすることができる。ところで、年金給付の水準は現役労働者の賃金水準の7割程度であり、18年の受給期間に相当する「賃金」を得られる年数は13年程度である。この観点がいわば「世代間不公平」が生じるとする人々の前提になっている。しかし、これは賃金の話であり、1人当たりの付加価値に換算すれば9年程度となる。遺族への保障を考慮すれば労働年換算で10年程度がこの観点からの公平な負担の水準ということになる。こうしてみると、丁度現在までに退職した人々およびあと数年間のうちに退職する人々は確かに所得移転を受けてきたといいうるかもしれない。しかし、すくなくとも戦後生まれの世代は十分に保険料を支払ってきたといえる。まして、その後の保険料率となれば、それは追加的搾取とも呼べるべきものである。つまり、労働者の観点からみれば、不公平は世代間ではなく、年金加入者である労働者とその外部との間にあることになる。つまり年金受給者が現役労働者を搾取するわけではなく、将来の現役労働者により重たい搾取が年金保険料の支払いという形でおそってくるということに過ぎない。
 実際には、現行制度を固定したままでは現状以上に年金保険料率を上げるか給付を減らすかしなければ、年金財政が破綻することもまた事実である。では、この差はどこへ消えていくというのであろうか。つまり、これまでに退職した人々への年金がかなりその積み立て額だけと比較すれば多かったことが後世代の負担を大きくする理由となっている。しかし、これまでの退職者の年金水準は高齢者の生活保障という観点からは必要な事だったのであり、その負担を実質勤労者だけになる年金加入者にのみ負担させるのは理不尽であろう。逆にいえば、これまでの国庫負担がまったく不足していたために、現在の問題が起きているのである。もうひとつの問題は、資本主義の中で年金が保険として運営され、積立金が財政投融資の資金として金融資産=貨幣資本として運用されているにすぎないからである。もし、労働者が自身が支払ってきた労働年数と同じだけの価値を支払ってもらえるようにするとすれば、積み立てた労働年数が保存されるようなスキームが作られていなければならない。しかし、この事を完全に実行することは貨幣経済である資本主義の中では非常に困難といわざるをえない。
 

四 課題

 上記のように考察してきたが、マクロ的な経済の問題として考えると公平性の問題だけで年金問題の分析が尽きるという訳にはいかない。これまでの貯蓄と投資のバランスの問題も大きい。日本が貯蓄超過であることは経常収支の黒字が恒常的なものであったことによく現れている。いわゆる第一次オイルショック以降、搾取率が ほぼ一定のもとで、資本の有機的構成が高まり、利潤率が低下し、国内民間投資は名目的には民間貯蓄を大幅に下回ってきた。この要因としては、国内で資本財価格が一貫して大きく低下してきたことも指摘できるだろう。  こうした環境下に日本資本主義は一級の帝国主義へと発展し、海外資産をネットで80兆円規模に膨らませた。海外投資は、証券投資など金融的なものから直接投資を主体とするものが増加している。日本の主要独占資本は、生産拠点の立地をカントリーリスクを考慮しながらもっとも利潤極大化を図れるものへと常に再編する動きを示すようになった。このようにみていくと、これまでの国内の勤労者の貯蓄である年金積み立て金も間接的に、こうした資本の海外投資の増加に回されてきた点を指摘できるだろう。
 今後、高齢化の進展に伴いネットでの民間貯蓄が減少していくことは疑いがなく、経常収支も恒常的な赤字の方向に変わっていく可能性は高い。資本にとってはこれが政府部門の赤字の増大と同時進行し、通貨の信任の問題にまで発展してしまう可能性が問題になってくる。そうした条件を見据えて、財政再建、行政改革の動きがでてきているのである。
 前節で年金積立金を貨幣的貯蓄と見立てて議論する世代間不公平論は、まやかしである点を指摘した。むしろ、問題を労働者の世代間の問題にすり替えて、搾取の強化の事実を隠すものである。いわんや給付水準の引き下げは、詐欺的であるといってよい。それでは、当面の政策課題としてどのような改良要求を提起することが可能であろうか。資本主義の枠内であるかぎり、前に述べたように貨幣的計算に基づかない制度を運営することは困難である。しかし、その枠の中で可能な改良要求は幾つか提起しうると考える。
 まず第一にわれわれの側が公的年金の必要性について再確認し、考え方の位置づけを行うことが肝要である。単純に貨幣的な貯蓄を行ない老後に備えるのであれば、民間の貯蓄、保険で十分であり、使用者負担の部分を賃金に加算して公的年金制度を廃止してしまったほうがいいことになる。おそらく、いまのまま財政再計算に示されたような保険料引き上げを行うのでは、現在35歳以下の労働者にとってはそのほうが有利になってしまう時期は近い。独占資本の側は、そうした方が今後実質的な賃金抑制を図れること、銀行、保険業界にとって有利な市場ができること、国庫負担などを軽くできることから、公的年金制度を民間保険に置き換えていく路線である。
 それでは、公的年金制度にはどのような点が求められるべきであろうか。公的年金は高齢者の生活権を公的に保障するものでなければならない。勤労の義務を果たしたものが当然の権利として老後を安心して生活できるものでなければならない。その意味で、基礎年金部分を充実して基礎年金だけで最低限の生活が維持できる水準とし、報酬比例部分の役割を抑える。それ以外は、税制上の特典もやめて企業年金や保険会社の年金保険をいたづらに有利にさせるべきでない。
 具体的イメージを伝えるために、少し大胆に筆者の個人的意見を述べてみると、具体的には、基礎年金の給付水準を現役労働者の手取り平均賃金の50%程度に引き上げる。報酬比例部分は中位の総受給額がほぼ変わらないように縮小する。最高の厚生年金保険料率は少なくとも22%程度に抑制し、中位の所得の労働者にとって民間の終身年金の方が有利になるような料率にはしないこと。現在のような国庫負担の形式(拠出金や給付への定率の国庫負担)をやめ、財政計画により、不足部分を国家責任において拠出するように改める。
 上記のような改革を行えば実際の年金財政はどうなるか。国庫の負担は積立金をどうするかにもよるが現状よりはいくらか重くなるであろう。これについては財源は必要であり、資産課税の強化で補うのが適切である。地価税の税率の1%程度への再強化、利子課税の総合課税もしくは分離課税の源泉税率の40%程度への引き上げが適切であろう。また、所得税についても課税所得3000万円超については増税をすべきである。
 実際には具体的な改革案(数値)は様々に作りうると思われる。しかし、労働者の要求としては、給付の削減、保険料の値上げのどちらにも反対し、独占資本の側が狙う積み立て方式への転換など公的年金の実質的な形骸化にたいしてはっきりとNOと言っていくべきではなかろうか。


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