クリントンは何を変えようとしているのか - 米国経済

「社会主義」1994年4月号(社会主義協会
                                                                                                    北村 巌
 92年11月の米国大統領選挙で勝利したビル・クリントンは93年2月18日に「経済再建教書」演説を行った。通常ならば「一般教書」演説となる演説を「経済再建教書」演説と名付けるところに、クリントンが国内経済の再建を第1義に考えている姿勢を打ち出したことがわかる。今年の予算教書においてもそれは貫かれた。
経済問題が最大の争点だった大統領選挙
 92年初めごろ米国で、いや世界中でジョージ・ブッシュが大統領に再選されないなどと考える人はきわめて小数であった。91年に湾岸戦争に勝ち、ブッシュ前大統領のいうように国際新秩序は米国の単独のヘゲモニーを確立するはずだった。不況下ではあったが国民の支持はブッシュに集まっているようにみえた。対抗馬を出さなければならない民主党は有力者がすべて後込みをし、小物だけの立候補になった。アーカンソーという南部の貧しく人口も小さい州の知事であるクリントンが民主党候補になると考えたものさえ小数であった。
 しかし、事態は変化した。一見した共和党の安泰ムードの中で変化の起きる条件は成熟していたのである。その条件とは、まず第1に不況の長期化とそのために生じた失業の増大である。白人警官による黒人殴打事件への不当な判決を契機とするロスアンゼルスの黒人暴動は、その背景に黒人の大量失業問題があると誰にでも感じられた。92年の黒人の失業率は最高14・2%(12月)にも達していたし、若年層(16才から19才)に至っては42・2%(10月)にもなっていたのである。そして全体の失業率も夏まで上昇を続けたのである。米国民は湾岸戦争勝利の酔いから完全に覚め、米国は大変な重病を抱えているのではないかと考え始めた。これは広範な国民感情として広がったとみてよい。

 第二には従来共和党政権を支えてきた経営者、資産家層の動揺とあせりである。経済環境は単に循環的な不況と言うにとどまらずクレジット・クランチとよばれる金融問題が景気の回復の足を引っ張り続けているようにみえた。クレジット・クランチはいわばレーガン政権時代の負の遺産であって、レーガノミックス時代の不動産投資ブームとそれにともなう金融機関の不動産関連融資の不良債権化が金融機関を弱体化し金融機関の倒産を多発させ、金融政策が大きく緩和し中央銀行が現金通貨を大量に市中に供給しているにもかかわらず、定期性預金残高や貸出が伸びず、金融緩和なかりせば金融恐慌に陥るような状況になっていた。また、ブッシュ時代をつうじて国防費の削減や一部の増税措置によって財政赤字削減がめざされたが、財政緊縮のデフレ効果で不況が長期化している一方で、財政赤字は利子の支払で残高が増加する雪だるま構造を脱却できず、そのために長期金利が高止まりしていることが、設備投資を抑制し続ける要因となってしまった。

 こうした経営者層の動揺やあせりを直裁にまた急進的に表現して登場したのが、大富豪ロス・ペローだった。ペローはふんだんな資金力を使って強力なキャンペーンを行い、大統領選挙に1石を投じた。彼自身、新興のハイテク産業の資本家であり、共和党的な新自由主義的イデオロギーによりながら実質的には従来からの特権的階層の利害を守るブッシュ政権への不満を募らせていた。彼は素直に高額所得者への増税による財政赤字の削減というスローガンをうちだした。これは従来、増税を言ったら選挙に勝てないという選挙屋の常識に立ち向かうものだった。ところが、ペロー旋風は強まり、少なくとも米国民に選挙について関心をもたせる役割を演じた。

 ペローが選挙参謀などの辞任により事実上有力候補の位置から脱落した後、高まった選挙民の変化への志向を吸収したのがクリントンであった。クリントンは環境保護派のアル・ゴアを副大統領候補とすることで民主党「左派」の支持もとりつけ、米国の経済再建を第1にかかげて選挙戦を有利に導いた。彼の選挙スローガンは「人民を優先する」というものでポピュリストを想起させるようなものであった。

 しかし、クリントンはポピュリストではない。彼は自身を「中道」と表現したように民主党リベラルでさえなく、前前回のモンデール候補のような労働組合をバックにした候補とは体質的に異質である。彼は選挙期間中、「自分は自由貿易主義」といったように、議会民主党の大勢とは姿勢を異にする印象づけを行った。そして、しだいに優勢となるなかで勝利を決定的としたのはシリコンバレー(カリフォルニア州北部のハイテク地帯)の経営者たちの支持であった。

クリントン政権の顔ぶれ
 クリントン政権の顔ぶれは、経済閣僚では国家経済政策担当補佐官にウォール街出身のルービン、経済諮問委員会委員長に経済学者のタイソン女史、財務長官に議会指導者のベンツェン、商務長官に民主党リベラル派で黒人のブラウンと「中道」路線を自称するらしいバランスのとれた配置となっている。ルービンは資本市場に詳しく、タイソンは産業政策推進派、ベンツェンは財政赤字削減に意欲的とそれぞれに特徴を持ち、また産業界、知識人層、議会民主党、黒人それぞれに気配りした人事であるといえよう。くわえて労働長官にライシュ・ハーバード大学教授をあてた。労働省は米国中央官庁の中ではいわゆる2級とされてきたが、ライシュは「大物」で失業問題に取り組む姿勢を強く打ち出し、クリントンも労働省自体の格上げを図っているとされる。
 外交政策では国務長官にはカーター政権時代に国務副長官だったクリストファーをあて、国家安全保障担当補佐官に同じくカーター政権時代に国務省政策企画局長だったレークをあてた。クリントンはカーター政権と同じく「人権外交」をアッピールしたいのだとみえる。しかし、実際の対中国外交は当初の発言から比べると相当に柔軟なものになっているといえる。  通商代表部代表にはスーパー301条の復活を支持するカンターをあてクリントンのいう自由貿易主義が公正貿易であり報復措置による解決を辞さないものであることをうかがわせる人事であるともいえる。

産業政策に特徴
 クリントンの政策は単にマクロ的経済政策(財政金融政策のポリシーミックス)をブッシュ政権より刺激型に組み替えて景気回復を図ろうというものではない。マクロ政策の枠組みからいえばけっして刺激的とは言えず、むしろ産業政策に特徴がある。欧米で産業政策といえば、衰弱する伝統産業を保護温存することを意味し、そうした産業への補助金政策で維持を図るものであったから経済体質そのものは長期的にみれば弱体化することを意味した。そうした意味で「産業政策」という言葉にはアレルギーもある。しかし、クリントンのいう産業政策とはこうした伝統産業の温存とは違い、政府が産業構造の転換を促進していく政策であり、具体的にはハイテク産業の育成ということになる。このことをつうじて米国の産業の国際競争力を回復していこうとしているわけである。つまり、米国経済の合理化の推進こそがクリントン経済政策の本質である。
 レーガノミクスは、高額所得者への減税、1般的な投資減税、軍備の拡大などをつうじて、80年代前半の景気拡大中にも結局、建設や輸送機器、重機械、その原材料といった重厚長大型の産業を温存させた。同時に輸入を急拡大させることにもなった。SDI構想など軍事技術のハイテク化をつうじた米国の科学技術の優位を維持する方策もあったが、これは生産現場レベルでの生産技術の高度化には結びつかなかった。そして、いわゆる双子の赤字=財政赤字、貿易赤字を残してしまった。

 クリントンの目指すものはこうした状況の変革である。提案されている投資減税は一般的なものではなく中小企業への投資減税とされ、ベンチャー企業に有利にされている。ハイテク志向の新興の企業群が念頭に置かれているわけである。今後、技術開発等における国家のイニシアティヴも大きくなってくると予想される。

歓迎された増税政策
 クリントンは92年2月18日の「経済再建教書」演説で増税を打ちだしたが、国民の反応は好意的で大統領への支持率は70%に高まった。第1には、この増税が高額所得者への所得増税を中心とするものであって、レーガン時代にドラスティックに行われた累進課税の緩和を修正するものであること、第2に、エネルギー増税に関しては環境問題意識の高まりから受け入れられ易い条件が整っていることが支持された背景として指摘できる。米国においては増税は必ず有権者の反感を招くとしてタブー視されてきたが、この状況は大きく変化した。
 また、NBC放送の世論調査によると、増税の目的に関しての支持では、教育の機械均等78%、保健75%、財政赤字の削減58%と高く、増税がレーガン時代に切り捨てられてきた福祉への目的であれば支持する世論となっている。一方で輸送や通信の改善33%、地方財政の支援30%など低い支持率になっている。クリントンの経済政策はおおむねこうした世論を反映したものであるといえるだろう。

 所得税増税は14万ドル以上の所得者(課税所得10万ドル以上)にたいして限界税率を31%から36%へと5%増税、さらに25万ドル以上の所得者にたいしては10%の増税を行うというもので共和党政権時代に税金面で大きなメリットをうけていた高額所得者、富裕者には厳しい内容となった。また外国企業を含む企業への徴税も強化するとしている。この効果で93~98年度で1263億ドルの増収を見込んでいる。

 エネルギー増税ではBTU(英国熱量単位)税という消費熱量に比例する税を新設して同期間に714億ドルの増収を見込むほか96年度からガソリン税も引き上げる方針である。ただこれは現在までの予算案では具体化されなかった。

 こうした増税政策は国際的な税制改革の方向を決める可能性がある。80年代の新保守主義のもとで行われてきた累進課税緩和の逆転であり、環境問題を背景にしたエネルギー課税の強化である。

防衛費の削減
 クリントン政権の防衛予算政策はブッシュ政権に比べて相当に厳しいものとなった。とはいっても、防衛費の実額をなだらかに引き下げていくというもので、レーガン時代に大きく引き上げられた水準からみれば防衛費が漸減するということである。クリントンの提案では防衛費総額は93年度2943億ドルから98年度2527億ドルとなる。期中のインフレを考慮すればかなりの削減には違いなく、対GDP比では98年度で3.6%となると予測される。この比率がレーガン就任直前でも5%超であったことからみれば、大規模軍拡(外延的な拡張という意味において)は終わるといえるかもしれない。もちろん、これは軍の大幅な合理化をともなうものであり、防衛予算の減額イコール実質的な軍事力の減退とみなすことはできない。
 具体的な軍事力の編成計画についてはアスピン国防長官のもとでどのような計画がでてくるのかであるが、今のところは陸海空3軍の大西洋司令部への統合や国連の軍事行動への参加専門部隊を創設することなどが打ち出されている。こうした路線は米国のヘゲモニーのもとに国連を利用し、軍事活動の正当化と他国への負担の肩代わりを求めるものといえそうだ。

 軍事費の金額としての削減ということでは陸軍の海外駐留の削減がいちばん手っとり早く、欧州からの撤退は進むだろう。しかし、一方でドイツとの間で合同軍を設立するなど肩代わりだが米国のヘゲモニーを侵させない、という政策がとられている。この措置は欧州の米軍からの「独立」をめざすフランスがドイツと合同軍を創設したことにたいする対抗措置であるともいえるだろう。

 また、クリントンは経済政策でも米国産業のハイテク化を掲げているように、軍事力においてもハイテク化による合理化を通じた実質的な軍事力の強化をめざすであろう。

米州重視の対外戦略か
 以上のような国内経済再建を最重視する立場から米国の外交戦略がどう変わるのかについては不透明な部分が多い。しかし、北米自由貿易圏協定(NAFTA)を成立させたこと、ガット交渉においても米国の原則的立場をかなり強く打ち出す姿勢だったことから米国の対外経済政策は他先進国との協調よりも米州の地域的経済統合を優先する立場へと変化する可能性も大きい。こうした傾斜はブッシュ政権時代から始まっているが、クリントン政権はそれを逆転させる動機はもっていないであろう。クリントンは貿易政策は経済政策全体の一部であり、経済成長と高賃金の仕事を米国の労働者のために生み出すことが目的であるとしている。  米国にとっては80年代前半に発生した債務危機を緊縮政策で乗り切りつつある中南米諸国は依然として魅力的な市場である。米国の商業銀行は中南米諸国に対して依然として巨額の債権を保有しており、この地域の経済の再成長から得る果実は大きい。  またメキシコの米国国境沿いの保税区の成功にみられるように中南米の低賃金労働力の利用は米国の産業資本にとっても魅力的な存在となっている事実に変わりはない。通貨の安定や政情の安定さえ確保されれば直接投資先としての中南米の存在は大きい。クリントンは選挙期間中は明確な表現ではなかったが、中南米への投資が米国の労働者の職を奪うとして反対する姿勢をみせたこともあった。しかし、実際には、北米自由貿易協定を成立させたように、根本的に中南米への投資を抑えようという姿勢はみせていない。
 こうした米国の地域主義の台頭は対局のECの統合過程とともに世界経済のブロック化懸念を呼び起こしている。

「社会主義」誌(社会主義協会)掲載 経済情勢分析リスト(北村執筆分)


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