現代資本主義の金融経済(16)

5. 財政赤字累増と繰り返すバブルの構造

② 繰り返すバブル
 現代のヘッジ・ファンドの王者とも称されるジョージ・ソロスはリーマンショック直前に出版した著書「The New Paradigm for Financial Markets」(2008年)の中で、バブルは今後も繰り返すと述べている。彼のバブル必然論の根拠は、金融市場における「リフレクシビリティー」である。これは簡略に述べると金融市場はけっして均衡を得ることはなく、参加者の情報は不完全であり、「常に間違える」のであって、参加者の思考と現実との間の双方向の相互作用が不安定性をもたらしているということである。
 しかし、所詮こうした見方はより金融市場における情報を豊富なものにし、規制の在り方をよりレバレッジを低くさせる方向にしていけば、不安定性を緩和できるという議論にもつながっていく。ソロスは歴史的に理解すべきといいつつも、現代資本主義における金融の不安定性を資本蓄積の進行との関係では理解しようとしていないと思われる。
 では、我々は不安定性の源泉を何と考えるべきであろうか?またその必然性と金融規制などの政策的対応との関係をどのように理解すべきであろうか?
 これまでみてきたように、貨幣資本が過剰に蓄積されていることが、金融市場に不安定性をもたらしており、その資本主義的な枠組みでの解決は、さらに貨幣資本の蓄積を進行させていくようになることが多い。この裏側には財政赤字の累積という貨幣資本の過剰を反映している存在がある。現代資本主義は、先進資本主義国では、不換通貨体制のもとで、深刻な全般的恐慌やハイパーインフレーションを財政金融政策で避けながら、貨幣資本の過剰による金融の不安定性の発現を、財政赤字を拡大したり、市中への通貨供給を増加させたりすることで緩和してきた。これはさらに貨幣資本の過剰を導いていくこととなる。
 バブルが繰り返し発生してしまうのは、この構造からきていると考えざるを得ない。そうすると、例えば金融規制を強化し、金融機関の過度のリスクテークを抑制しても、それはバブル現象を一時的に緩和することができるにすぎず、むしろ規模の大きいバブルを生む可能性すらあるかもしれない。たとえば、日本の不動産価格、株価のバブルは1986年以降に酷くなったが、実は70年代から長期に渡って市場価格が、持続可能な価格から大きく情報にかい離していく現象があったとも解釈しうる。その修正が長期に渡って日本経済をデフレ的状況に追い込んだ。その長期不況過程で行われた財政赤字の累積と超金融緩和の長期化は、けっして貨幣資本の過剰蓄積を解消することにはならず、次のバブルを準備しているのかもしれない。

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