現代資本主義の金融経済(15)

5.財政赤字累増と繰り返すバブルの構造
① 財政赤字の累増と大企業のカネあまり
最後に「貨幣資本の過剰」と財政赤字の累増、企業部門のカネ余りは密接に結びついていることについて述べてみたい。
1970年代以降の世界経済の成長と景気循環過程において、少なくとも現象的には経済成長の維持のためにつねに財政赤字の累増がつきものであるという姿があった。中南米債務→米国の双子の赤字→日本の財政赤字→欧州の政府債務問題と財政赤字問題は範囲を広げ規模を拡大してきた。これは、先進国の経済成長のありかたの本質的な問題である。なぜ、財政赤字が累増していくのか。やや単純化して、その原理を考えてみよう。
ます、市場に分配を依存すると、もともと資産を所有する階層とそうでない階層の間での所得と資産の格差が拡大する傾向がある。景気の拡大期には資産家層の奢侈品消費が拡大するが、これは不安定でありかつ所得の水準に比較して小さい。逆に非資産家層の消費は所得に比較して大きく貯蓄率は低い。その両者の間で所得格差が大きくなっていくと、全体の所得に対して消費は相対的に減少していくことになる。あるいは企業の所得と投資のバランスも悪化していく。
経済バランスを保っていくために、そうした需要不足を補っていくことが必要になる。そのためには、政府は財政支出を拡大したり減税を行ったりしていくことになる。しかし、財政支出(や減税)が実際にはそれだけの有効需要を生み出せずに、したがって生産を増加させることなく、財政支出や減税による所得の増加のかなりの部分が、様々なルート(レント構造)を通じて分配(レント)され、そのかなりの部分が消費や投資に回らないまま、貯蓄、つまり貨幣的な蓄積に収斂されてしまう構造がある。つまり、減税や財政支出による景気刺激=需要創出効果が極めて低い状態になっていると言い換えてもよいかもしれない。
そうした財政赤字、特に資産取得部分を除く純財政赤字は、貨幣資本と実物資本(公的部分を含む)の乖離に相当する。つまり貨幣資本が実物資本に比べ相対的に過剰になってきている過程と財政赤字が拡大していることは表裏の関係にあるといってよいだろう。貨幣資本が過剰になっていることが、金融市場において過度に投機的な動きを誘発したり、逆に信用収縮が激しく起こったりする原因となっている。
こうした財政赤字拡大の原理の発現を緩和・抑制するための資本主義的な方法は、レントの発生を解消していくような構造政策であり、近年強調されてきた「構造改革」である。もうひとつの方法は累進課税などで所得再分配を行い所得と消費のバランスを保つ政策や制度である。1980年代以降、世界中で規制緩和など市場原理をより浸透させることでレントの発生を抑制する改革の試みは行われたが、一方で所得再分配の仕組みは逆に大きくフラット化され、所得と消費のアンバランスはさらに大きくなった。結果的には、個々の国で事情の違いはあるものの、おおよそ前述の不均衡の原理が端的に発現してしまうようになってきたのである。
1990年代には米国でクリントン政権がレーガノミクスの行き過ぎを是正し、経済成長を一定程度に達成しながら財政赤字を克服するという時代がたしかに存在し。しかし、これはやや例外的に条件が揃っていたといえる。つまり、冷戦の終了により軍事費を削減できたこと、IT技術の発達と普及により経済成長が加速された時期にあたったという好条件が税収の増加に寄与したのであり、十分に所得格差拡大が是正されたことで財政赤字を必要としない経済成長パターンに転換したわけではなかった。実際にクリントン政権時代も米国の所得格差拡大のペースは衰えず、所得格差の度合いを表すジニ係数は上昇を続けていた。クリントン政権発足の前年1992年にジニ係数は0.415であったが、政権の最終年2000年では0.443に上昇していた。むしろブッシュ政権下でジニ係数の上昇はいくらか緩やかとなり2008年には0.451となった。
所得格差また資産格差の拡大を反転させる制度的な改革が行われないと、格差拡大と不安定性の増大には歯止めがかからないだろう。所得税制における累進制の強化、法人課税の強化などを行い、教育・医療などへの予算配分を手厚くすることなどで所得の再配分を行うべきであろう。オバマ民主党政権はそうした方向性を持ちつつも、議会での基盤がぜい弱であることもあり、米国の経済政策は転換できていない。結果的にはリーマンショックで危機に陥った大金融機関を救済し、財政赤字を膨らませてしまった。

② 繰り返すバブル
 現代のヘッジ・ファンドの王者とも称されるジョージ・ソロスはリーマンショック直前に出版した著書「The New Paradigm for Financial Markets」(2008年)の中で、バブルは今後も繰り返すと述べている。彼のバブル必然論の根拠は、金融市場における「リフレクシビリティー」である。これは簡略に述べると金融市場はけっして均衡を得ることはなく、参加者の情報は不完全であり、「常に間違える」のであって、参加者の思考と現実との間の双方向の相互作用が不安定性をもたらしているということである。
 しかし、所詮こうした見方はより金融市場における情報を豊富なものにし、規制の在り方をよりレバレッジを低くさせる方向にしていけば、不安定性を緩和できるという議論にもつながっていく。ソロスは歴史的に理解すべきといいつつも、現代資本主義における金融の不安定性を資本蓄積の進行との関係では理解しようとしていないと思われる。
 では、我々は不安定性の源泉を何と考えるべきであろうか?またその必然性と金融規制などの政策的対応との関係をどのように理解すべきであろうか?
 これまでみてきたように、貨幣資本が過剰に蓄積されていることが、金融市場に不安定性をもたらしており、その資本主義的な枠組みでの解決は、さらに貨幣資本の蓄積を進行させていくようになることが多い。この裏側には財政赤字の累積という貨幣資本の過剰を反映している存在がある。現代資本主義は、先進資本主義国では、不換通貨体制のもとで、深刻な全般的恐慌やハイパーインフレーションを財政金融政策で避けながら、貨幣資本の過剰による金融の不安定性の発現を、財政赤字を拡大したり、市中への通貨供給を増加させたりすることで緩和してきた。これはさらに貨幣資本の過剰を導いていくこととなる。
 バブルが繰り返し発生してしまうのは、この構造からきていると考えざるを得ない。そうすると、例えば金融規制を強化し、金融機関の過度のリスクテークを抑制しても、それはバブル現象を一時的に緩和することができるにすぎず、むしろ規模の大きいバブルを生む可能性すらあるかもしれない。たとえば、日本の不動産価格、株価のバブルは1986年以降に酷くなったが、実は70年代から長期に渡って市場価格が、持続可能な価格から大きく情報にかい離していく現象があったとも解釈しうる。その修正が長期に渡って日本経済をデフレ的状況に追い込んだ。その長期不況過程で行われた財政赤字の累積と超金融緩和の長期化は、けっして貨幣資本の過剰蓄積を解消することにはならず、次のバブルを準備しているのかもしれない。

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