どうなる日本の金融政策
「まなぶ」2020年3月号 (労働大学出版センター)
90年代のバブル崩壊以降、日本の金融政策は緩和に次ぐ緩和を積み重ねてきました。一時的に修正される局面はあったものの、ゼロ金利の長期化、量的緩和の拡大が行われてきました。この背景には、長期的な成長率の鈍化、慢性的なデフレリスクといった実物経済の問題があります。
金利政策の限界
そもそも資本主義経済における利子とは何でしょう。生産活動に必要な設備をそろえたり、労働者を雇ったりするための元手、つまり資本の調達はその事業のリスクを受ける代わりに利益も大きくなる部分と借り入れなどの負債の部分に分けられます。前者は大企業であれば株式の発行で調達され、後者は銀行からの借り入れや社債の発行によって調達されます。後者については借り手は貸し手に元本の返済を約束しつつ利子を支払うことになります。利子は事業活動で得られた利潤の一部が当てられることになり、残りが前者の資本の取り分となるのです。元本に対する利子の率は、その時々の借り手と貸し手の力関係=需要と供給で決まる、というのが資本主義の原則です。
しかし、現代では貨幣は中央銀行が発行して、それを銀行に貸したり証券を買い取ったりして市場に供給しています。つまり貨幣の供給は中央銀行の政策のもとに行うことができるわけです。銀行は中央銀行から借りられる資金の金利に上乗せして企業や個人に貸すことで利ざやを得ることができますし、それより低い預金金利を設定して資金が余っている企業や個人から預金を受け入れ、資金を必要としている企業や個人に金利を上乗せして貸すということになります。ですから中央銀行は銀行に貸し付ける金利=公定歩合を変化させることで市中の金利も操作し、結果として貨幣の量も決めることができます。中央銀行が金利を上げれば貨幣の供給は細り景気への引き締め効果が現れます。借り入れ資金の利子が上昇すれば資本は積極的に借り入れて投資するということはしなくなるからです。反対に中央銀行が金利を下げれば貨幣の供給が増え景気へ刺激効果が出てくることになります。
と言っても中央銀行は万能ではありません。まず銀行への貸し出しは、従来あまり長期の資金を貸すことはなく、短期の金利を操作することは可能でも長期の金利を操作するのは簡単ではありません。長期資金の市場に影響を与えることはできますが市場経済のもとでは自由自在というわけではないのです。また金利はいくらでも上昇させることは可能ですが、ゼロ未満、つまりマイナスに下げることはほとんど不可能です。もし金利がマイナスであれば現金をそのまま持っている方が有利なので銀行はマイナス金利で借りて現金を貸さずに手元に持っておけば利益が出てしまいます。これでは金融が機能不全に陥ることになります。厳密に言えば、現金を金庫に安全に保管するコストはかかるので、わずかにマイナスにすることは可能で、現実にヨーロッパ中央銀行は政策金利をマイナスにしました。
日本を含め先進国では、ここ十数年間、金利を下げても景気への刺激効果が小さく超低金利やゼロ金利が長期に続くという現象が出てきました。特にバブル崩壊後の日本は金融機関に不良債権問題が深刻化し、景気の低迷が続いて物価の停滞、下落リスクが高まりました。日本銀行は金融緩和を進め、金利をゼロにまで下げてきましたが、景気への刺激効果は限られています。
量的緩和政策の実態
金利を下げても景気浮揚ができないという状況の中で、日本銀行は量的緩和政策をとりました。初めて量的緩和政策が行われたのは、不良債権問題が深刻化した2001年です。日本銀行が市中(主に銀行)から国債を買い入れ、日銀当座預金残高を増加させるという政策でした。国債を日銀に売った金融機関は貸出先ができなければ日銀の当座預金をするほかなく、この当座預金を増やすことを目標に置いたのです。この目標は徐々に引き上げられ、最終的には2004年に30〜35兆円に目標設定した政策がとられました。
この時期には多くの銀行が不良債権処理に取り組みましたが、金融機関の日銀への当座預金がふんだんにあるということで、いざ金融不安が発生した時に連鎖倒産を防ぐ安全弁の意味が大きかったと思われます。つまり量的緩和で景気への刺激効果があったかどうかは疑問ですが、金融不安の拡大を防ぐ効果はあったと判断できそうです。
次に量的緩和策がとられたのは、安倍政権成立により積極緩和派の黒田氏が日銀総裁に就任してからです。2013年4月4日、日本銀行は金融政策決定会合で「量的・質的金融緩和」(異次元緩和)の導入を決定しました。いわゆるアベノミクスと喧伝された政策です。「量的・質的金融緩和」は前回の量的緩和が日銀当座預金残高を目標値に設定したのに対し、マネタリーベースを目標値に設定しました。マネタリーベースとは市中の現金通貨と日銀当座預金残高を合計したものですが、これを増やせば金融システムの信用創造を通じて金融経済が拡大し、ある程度のインフレを生じさせてデフレ的傾向を克服できるという理論を背景にしていました。
相当に大規模なマネタリーベース供給を行ったにもかかわらず、実際にはほとんどインフレ傾向は生じませんでしたが、円安になることで輸出企業にメリットをもたらし、また長期金利が低下したことで株価が全般的に上昇しました。このことで企業の設備投資もある程度持ち直しました。雇用状況も改善したので、景気へのプラス効果はあったと言えます。しかし当初目標にしていた2%の消費者物価上昇は達成できていません。
マネタリーベースを増やせば金融機関が積極的に融資を拡大するとした理論が誤りだった、というほかはありません。金融機関は日銀への預金を増やしてリスクに備えるだけで貸出には積極的になりませんでした。現金需要はある程度増えましたが、購買力が増したわけではなく退蔵されて需要創出にはつながっていません。マネタリーベースを拡大するために、日銀は国債を中心に購入していますが、事実上、新規に発行された国債と同等の額以上を購入してきていて、直接的な引受ではないものの国債の貨幣化が生じています。
また、日銀は株式市場にも上場投資信託の購入を通じて資金を供給しており、この残高は28兆円を越しています。上場不動産信託についても5500億円の規模になっており、資産市場に直接介入してきました。金融危機時に株式市場の崩壊を防ぐ目的で株式などを購入することはやむを得ないかもしれませんが、安倍政権下では株価を上昇させるために行われてきたという性格が強く市場経済の原則を踏み外している、と言えるでしょう。
これからの金融政策
日銀の購入した国債残高は486兆円に達しています。さらに金融緩和を進めるといっても国債購入の余地は限られてしまったというのが実際でしょう。国内景気には力強さはなく、今回のコロナウィルスで中国の生産活動が一旦停止するなど、サプライチェーンの国際化によって密接となった世界経済のリスクにさらされる環境にあります。企業は史上最高の利益水準を維持していますが、労働者には分配されず消費を喚起できていませんし、企業利益拡大が企業設備投資拡大につながっていないため、国内需要は停滞気味です。
米国の金融政策も正常化への道を一旦停止しており、長期金利が大きく下がっています。日米の金利差が縮小したことから、円高に向かう可能性も大きくなってきました。この場合には、実物経済上のデフレ傾向や企業収益の悪化による株式市場の下落といった状況が起きてくる可能性もあります。政策決定を行う日銀審議員は積極緩和派で占められており、これまでの「異次元緩和」の中心であった国債購入に限らず、株式などリスク性の資産買い入れをさらに積極化したり、基準金利をマイナスにしたりといった対応がされることもありえます。この場合には経済はバブル化するおそれが強まります。財政赤字は裏側でマネー資本の過剰を作り出しています。それに過剰な貨幣供給=流動性供給が加われば、バブル発生の条件が整うわけです。
巨額の財政赤字と超金融緩和によっても、国内の需要が盛り上がらないのは、労働分配率が下がり、勤労者の消費が増加しないことに大きな原因があります。税制や財政支出を通じた所得、資産の再分配を行わない限り、経済の不均衡は是正されず、不況や金融危機が起きるたびに財政赤字の拡大と過剰な金融緩和が行われて矛盾が蓄積されていくのです。