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レビューに踊らされて、溶けていく感動。
只今、日本に一時帰国中。
久しぶりに映画館へ足を運んで、『劇場版 機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』を見た。
1979年放送のTVアニメ『機動戦士ガンダム』の第15話『ククルス・ドアンの島』を映画化。
アムロが任務で訪れた通称“帰らずの島”。そこで見たのは、いるはずのない子供たちと一機のザク。戦闘の中でガンダムを失ったアムロはククルス・ドアンと名乗る男と出会う。
感動した!
素直にガンダムはカッコよかったし、迫力もあった。
私は、素直に感動した。
『私は、』と書いたのには意味がある。
映画を観覧後、映画のレビューサイトで他の人の感想を見たところ、ちょっと自分の感想に自信がなくなってくる自分がいるのだ。
確か、観覧中は感動したし、興奮した。
基本的には、レビューサイトでも『劇場版 機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』は全体的には高評価だ。
しかし、レビューサイトの赤の他人の感想を見ると、ストーリーの構成や内容などに、「なるほど、確かに」と思わされるツッコミや批判じみたコメントが並ぶ。
そして気になって読んでしまうのが、わざわざ低評価のコメントなのだ。
読まなきゃいいのに、読んでしまう。「私は性格が悪いのだろうか?」とも、自己嫌悪にも陥ってしまう。
確かにあの時、劇場の中で、感動は本当だ。嘘じゃない。
しかし、まるで自分の感情が、目が覚めた時の夢のように溶けていく。
ただ、この『劇場版 機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』を、この文章を読んでくれている皆さん全てにおススメかと言われれば、正直、そんな自信もない。
子どもの頃から、ガンダム好き。ちょっと前には漫画版『ガンダムオリジン』をKindleでまとめ買いしな。前情報の下地と、思い入れがある。
だから、ロボットアニメに興味がない女性の方や、世代ではない方には、さっぱりかもしれない。
私の妻も全く興味を示さないと思うので、一人で足を運んだ。
とはいえ、『私が、』感動したのは本当だ。
途上国生活も長くなると、文化的なものに飢えを感じてしまう。今回の帰国は、人に会うだけではなく芸術や文化的なものに触れたかった。
できるならば、舞台やミュージカル。しかしそう思いつつも、なかなかチケット取得も簡単ではない。
なんだかんだと、一番手頃な映画に足を運ぶ。とはいえ、NetflixやAmazonプライムなど『映画は家で見るものも』というのも、すっかり定着。正直、映画鑑賞にあまり期待できていない自分もいた。
しかし、大画面に迫力のある音響。
『私は、』映画館の久しぶりのど迫力にやられてしまったのかもしれない。
とはいえ、改めて言うが、私は確かにあの時、感動した。
『作品』は、誰が、どんな時に、どうやって作ったかで、その評価が決まる。
『作品』そのものだけではなく、作家の人間性やキャラクターによって評価は作られていくと思っている。
それと同じように、その『作品』を見る人間も、誰が、どんな時に、どうやって見たかによって、感動の具合も変わるのであろう。
あの時の私が、この映画を見たから感動したは確かだ。
誰だかよくわからないやつの、見たかもどうかわからない評価やレビューに踊らされてなるものか。
他人の感想なんて、関係ない。
とはいえ、他人の意見が具象化して、自分たちの周りに氾濫する昨今。
自分の感動を、しっかりと自分で守っていかなければならない時代なのかもしれない。
とはいえ、誰もがたった一度しかない人生。
少しでも多くの感動に知って、死んでいきたい。
自分の内なる感動を溶かさぬように、生きていこう。
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