変化することに、期待をするな
『新しいことに挑戦したい。』
『今の自分から変化をしたい。』
進化論を唱えたダーウィンは、『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるわけでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である。』という考えを示したと言われている。
この言葉を聞いた時、強くもなく、かしこくもない私は救われた気分になった。自分ができそうなものが『変化』だけだけだったからである。
だから、私はとりあえず、変化をしなくちゃ、変わらなくちゃ、と思った。
変化をするのに最も手軽なのが
①服装・髪型を変える。
②仕事を変える。
③住む場所を変える。
だと言われる。
どれだけ深刻に悩み考えて、『明日から俺は変わる!!!』と決意したところで、人はどうやら変われないらしい。
ウジウジしていても仕方がないので、カンボジアへ来てしまった。
なるたけ『変化』。と、思いつつ、カンボジア在住9年。
最近は全然、『変化』ができていない気がする。。。。
コロナ前までは、確かに色々と飛び回って『変化』らしいことを心がけてきた。とはいえ、ここ最近は『変化』とは程遠い。
そんな『変化』できない現状にウジウジとしていたのかもしれない。
しかし、ダーウィンのこの言葉、間違っているらしい。
どうやら、ダーウィンの著書『主の起源』でも言及されていなければ、ダーウィンの思想にもそぐわないようだ。
根本からの崩壊である。
生き残るのは『変化』できるものじゃないの???そう思って調べてみる。
ダーウィンの進化論は、厳密には『変化ができる者』ではなく、ある意味『運が良かった者』のようだ。
進化論とは、『キリンの首は、祖先が高いところの葉を食べるために首を伸し、その子孫がまた努力してより首を伸ばすことにより、ちょっとずつ進化した』
と考えていた。
どうやら、違うらしい。
どうやら、進化が起こる際には、単なる突然変異が遺伝子のミスコピーが起こることが要因だというのだ。いつ起こるかわからない偶然によって、親とは少し違う形質の子が生まれるのことにより、進化は進んできた。
突然変異のミスコピーは、良いようにも作用する時もあるかもしれないが、基本的には悪い時の方が多いだろう。たまたま、そのミスコピーが良いように作用された際に、その種がたまたま生き残ったのである。
生物の進化に「目的」があると考えるか、進化は単なる「結果」にすぎないと考えるかが大きく違う。
つまり、「目的」のある「変化」はダーウィンの思うところではないのだ。
ああ、、、やってしまった。下心のあるカンボジア移住はダーウィンに見透かされていたのかもしれない。
とはいえ、もう私はカンボジアへ来てしまった。。。
どうやら、生き残るためにの「変化」はあまり意味がなさそうだ。仕方がないので、今この環境を受け入れるしかない。
とはいえ、「変化」は刺激的で個人的には悪くない。そんなに、ジタバタと足掻いて「変化」を目的とした生き方も楽しかったのだ。
とりあえず、今住んでいるカンボジアや環境をどうにか楽しもう。その中で、我々しかできないことを挑戦していこう。
もっと、自分がワクワクするために生きていってもいいのではないか。
「目的」は求めず、自己満でもいいので、自分の人生を楽しいものにしていきたい。
そして、運よく生き残れたら、いいな。