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正義は麻薬のように

衆議院議員選挙について書いた回で、「裏金」というわかりやすい「悪」を正義の御旗のもとに断罪する気持ちよさに言及した。

もう少しだけ踏み込んで考えてみたい。


よく見る芸能人叩きの光景

芸能人がスキャンダルを起こしてネット上でボコボコに叩かれているのはよく見る光景だろう。今ほどインターネットが発達していなかった時代でも、昼のワイドショーで延々と取り上げられていただろうことを考えると、どうやらこの手の話題は皆の大好物なようである。この現象を詳しく説明しようとすれば社会心理学的な話が色々あるが、それはここではやめておこう。
代わりに一つだけ問いたい。
「その芸能人はあなたに害を為しましたか?」
害としてよくありそうのが「見るのが不快」というものであろう。そうであれば見なければいいのではないか。皆が見なければ自然にその人の芸能人としての価値はなくなり、本当に見なくて済むようになるだろう。
理屈で考えればわかるはずなのだが、建設的な話にならない。そうであれば、もう少し本能に寄せた説明が妥当だろう。

原因は本能に根差した快楽?

「マウントを取る」という言葉がある。自分が優位に立って相手を攻撃しているイメージだ。人間は社会的な動物であり、集団から追い出されると生きていけなくなるため、集団を追い出されないように策を弄してきた。その策とはまさにマウントを取って自分の優位さを示すことであっただろう。気にいらない説かもしれないが、我々はまさにそうやって生き残ってきた子孫だ。それで長い年月生き残ってきたのだから、それをやるのが自然(=快楽)なのも無理はないだろう。この主張は逆を考えるとさらにはっきりする。マウントをすることが不快だった人は集団の生存競争に負けて絶滅してしまっているだろう。
これで先ほどの芸能人叩きに説明がつく。マウントを取ることは人間の本能に根差した行動であり、気持ちが良いのだ。自身の生存には何の関係もない話なのに、勝手に快楽のスイッチが入ってしまっている。

不毛なマウントを乗り越えて

昔は特定の集団から追い出されることは死を意味したので、人間は必死にマウントを取っただろう。しかし、今はそこまで特定の集団にしがみつく必要はない。自分の生活に何も関係ない芸能人であればなおさら気にかける必要もない。そうであれば、何も生み出さないマウントなどやめて自分の生活に役に立つことをやった方が良いだろう。
本能に打ち勝つのは大変だが、現象がわかっていれば対処できそうなものである。

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