時間をかけるのが美徳か
今日も少しだけ。
社会に出て働いていると、時間をかけることが美徳になっている場面に出会う。日本的な企業で働いている方なら、周りや上司の空気を読んで残業をした経験があるかもしれない。
ちなみに私は経験上、7時間半以上の頭脳労働は厳しいとわかっている。大学で5コマの授業があった後はヘトヘトになっていたからだ。
私に限らず、多くの人が業務を全力でできる時間はそんなものだろう。むしろ、7時間半はやりすぎかもしれない。
そう考えているので、私にとって残業時間は「業務効率が下がって割増賃金が出る時間」となっている。これは誰にとってもマイナスで、やらないに越したことはないと思う。
さて、昨日は10時間越えの記者会見があったらしい。このイベントで開示されるべき情報は端的に言うと2つで、「何が起こったのか」と「これからどうするのか」だ。
果たしてそのために10時間もかかるだろうか。10時間かかったことで「時間をかけた」という謎の誠意みたいなものが生まれかけているが、果たして関係者が知るべき情報は開示されたのだろうか。
何らかのパフォーマンス会場に見えたのであれば、会社も記者も同罪だ。
この問題は日本の芸能事情をスキャンダルでしか知らない人(例えば外国人)にとっては「トップが性加害を行っていた事務所に所属していたタレントが、テレビ局の力を借りて自らも疑わしい行為をした」と見える。
何も解明されない状態だと、特にグローバル企業はもうスポンサーに戻らないかもしれない。また、私が広告担当だったらこの問題をチャンスと捉えて広告効果の対比実験にしてしまうかもしれない。
いずれにしろ、この状態では広告を出さない口実を与えてしまっているので、厳しい未来が待っていそうだ。
時間をかければ価値があるような気がするという「時間の浪費癖」を無くしていきたい。