これまでのキャリアについて

転職を機にブログを使って、考えをまとめる活動を再開しようと思います。

私が外部講演などで時々自己紹介がてら使うスライドがありまして、それを用いつつ。

どういった業種で、なんの経験をして今に至るのかをまとめたものです。

ちなみに2020年版はまだない。

今の仕事に至るまで

一応肩書きとしては「データサイエンティスト」ということになっているのですが、これを見ると、世の中の人が思う「データサイエンティスト」のイメージと全然違うと思います。

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学生時代にこういう職種になろうとは1ミリも思っていなかった。数学ⅡBまでとったけど、統計の授業も受けたけどどうもピンと来なかった。社会で働くうちに、流れるままにこうなったと言っても過言ではない。

今だから言えるが、就職活動では氷河期終わるかどうかくらいの時期に、憧れだけで仕事を選んでしまった。早々と向かないことに気づき1年半で退職。第二新卒でやり直すために「きっと潰しが効くだろう」と思ったリサーチの仕事に就き、必死に人生の立て直しを行った結果、世の中がBigDataの時代になって「じゃあBigDataとやらができそうな会社に行こう」と前職に入社した。SQLは入社してから必死に覚え、大量データをゴリゴリ回す面白さとリサーチの違いに触れた。

なので、どうしてその職業に就いたんですか?と学生さんから聞かれても、結果的にこうなっちゃった、としか言えないのが申し訳ない。もう少し崇高な理想を持ってキャリアを積んだ人間であったら良かったのだが、最初の仕事でつまづいた後ろめたさと、非正規社員で修行した期間も一定期間あり、30歳くらいまで、とにかく一人前に稼げるようにならなければと必死だった。

そんな私でも、各社で社会人としての普遍的なスキルと、データ分析に求められる基礎的スキルを20代のうちに身につけられたのが今につながっている。それを振り返ってみたい。

制作会社時代

「続きはWebで」というCM全盛時代のWeb制作会社だったので、死ぬ気で納期を守らなければならなかった。1秒でも本番アップが遅れたら事故、1行コードが間違えていたら大惨事。そうならないような進捗管理と関係者の調整を、入社翌月から1年くらい体力勝負で続けたので、「納期は絶対」という価値観が身体に染み付いている。段取り力という名のスキルがあるならば、複数の工程を同時並行で把握し、どう進めていくか、詰まったらどうするか切り替える思考回路?ができたのはこの時期だと思う。

リサーチ業務時代

今のキャリアに繋がる基礎をここで叩き込んでもらえた。最初の上司がたまたまシンクタンク出身で、業界動向調査やコンシューマー調査などありとあらゆることを経験した。その後の上司が「自分に足りないものがあっても、外を頼ってでも大きな仕事をする」というポリシーを徹底している人で、社外のとある頭脳集団の方達と一緒に、1年くらいインターネット市場動向に関する研究プロジェクトをした。自分よりちょっと年上の、素晴らしく頭の良い方々の仕事の姿から、物事の整理の仕方やフレームワークを教わった。

マーケティングリサーチで良く出てくる満足度調査やクラスター分析、重回帰分析などを先輩がやっていて、その裏側で何が起きているのかに興味を持ち、ここでようやく統計って面白いと思える体験をする。自分で設計してできるようになりたくて、多変量解析を自腹で学びながら、「目的変数=何を解明したいのか」を起点に、説明変数と適切なアルゴリズムが存在し、適切なデータセットを用意することを学んだ。

この時期に、実は調査結果のプレスリリース文を書いていたり、個人ブログもこっそりやっていたので、社内の他部署の人から、とある媒体でコラム書いたらどうかとお誘いいただいた。大学の先輩で社会起業家の方が、リサーチャーのプロボノを募集していたので頼み込んで参加。社外で自分がどのくらい役立つのか試し、社外の同年代の人たちと比べて、自分は何が得意で何が不足点か(リーダーシップとか)が認識できた。仕事でご一緒した人から、「自分の主催イベントでリサーチ結果の話をしてみたら」とお声がけいただき、初めて人前で自分の仕事を発表する機会をいただいた。私にとっては単なる業務で調べた結果なのに、面白がってくれたことが嬉しかった。

これら社外活動を通じて、仕事をする上での普遍的なマインドを持てたのではないかと思う。

・自分の分析結果が何の意味を持つのか抽象化して語り、伝えること
・アウトプットをどう使ってもらう想定で進めるかという視点を持つこと
・前提の違う領域や人同士でも「走りながら考える」ことで実現できること
 ※要するに、ジタバタせず、柔軟に対応したらなんとかなるというマインド

それから、高校生の時に父親が言っていた、「これからは個人の時代だぞ、会社の看板がなくても、自分の名前で仕事をもらえるようになれ」という言葉の意味がようやくわかった。

ビッグデータな世界へ

人生で初めての大組織での仕事。

ビッグデータの世界でも、リサーチ時代に学んだスキルは基本的にブレることはなかった。向き合うことは同じで、目的に応じて必要なデータを用意し、適切な手法で分析したり必要があれば機械学習でシステム化する。私に足りていなかったのは、自分が作りたいデータセットを用意するために、自力でデータベースからデータを抽出する能力(すなわちSQL)。学生時代にプログラミングを授業でやっていて、Flashアプリを見よう見まねで作るのは好きだったので、言語の特性を覚えてコツが掴めてからは早かった。この時ほど大学時代にプログラミングが必修科目だったことを感謝したことはなかった。

この時期に、大学関係のつながりが広がった。

音信不通となっていたリサーチ時代の元上司と、偶然、六本木駅で再会。大学教員に転身していて、授業でゲスト講師をする展開となった。これを機に大学関係のゲスト講師のお声がけをいくつかいただき、仕事の事例を話す機会をコンスタントにいただいた。様々なビッグデータ系のイベントで登壇する機会もいただき、データ界隈は大学関係者も多いので自然と交流が生まれた。

全く別次元だけど、大学時代取り組んだデザイン思考が、ビジネス界で流行ってきた時期だった。社会にでた頃は、デザイン思考を理解するオトナは誰も周りにいなかった。時代がようやく追いついたんだなと、新鮮な概念に飛びついている人たちを若干上から目線で思いつつ、社会に出てからデザイン思考らしきことをしてこなかったので、もう一度エスノグラフィをきちんとやろうと思い立ち、社外の研修を受けて認定を受けるまで受講した。誘われて参加したワークショップで、サービスデザインを研究している先生に出会った。不思議と意気投合し、一緒にワークショップをやるようになり、ついには複業の起業もするに至る。いずれは会社作ろうという話ではなく、「もう会社にしちゃえ!」という勢いで決まったことは強く覚えている。

ここまでの話で、計画的だったものはおそらく何一つないのがお分かりいただけるだろうか。

30歳までは目の前のものにとにかく必死で食らいついていた。30歳以降は、目の前に来た不思議な出会いや出来事を、”とりあえず”そのまま飲み込んでみるキャンペーンをしていたら、いつの間にか自分の領域が広がっていた。

”とりあえず”というのが大事で、やってみてアリかナシか考えれば良いと思えるようになるまでに、私は結構時間を要した。20代でこれが出来ていたら、もう少し気楽に大胆な挑戦が出来たかもしれないなと思うことがある。

これから積んでいきたいキャリア、データ界隈への考え

今日は力尽きたので、これは次回書きます。