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無自覚な支援①

いくつかの福祉関係施設に勤めて感じたことが、世代差なのか、個性なのか、悪意に対して鈍感なスタッフの存在です。

悪意に対して鈍感な人は、意地悪なことを考えたり、他人を貶めるような行動を取ることが少ないため、一見すると福祉に向いているようにも見えます。

すべての鈍感な人に当てはまるわけではありませんが、このタイプの多くは、悪意に晒された経験が少ない、もしくは経験した悪意の種類が異なるように感じられます。

少し穿った例を挙げると、就職氷河期や「失われた30年」を経験した世代と、それ以前の時代に働いていた世代では、仕事や社会に対する捉え方が全く異なります。この違いを「社会の悪意を受けた経験が異なる」と表現することには多少の飛躍があるかもしれませんが、大きく外れてはいないと考えています。

さらに、個人的な経験や地域差の影響によっても、悪意の経験には違いがあるでしょう。経験がなくても情報は得られますが、経験と情報では心に与える影響がまったく異なります。

もちろん、悪意に晒された経験が少ないからといって、すべての人が鈍感になるわけではありません。しかし、経験がその人の人生に与える影響の大きさについては、多くの方が実感をお持ちではないでしょうか。

さて、悪意に鈍感な人が一見福祉に向いているように見えると述べましたが、実際にはそうでない場合もあります。

たとえば、利用者に対する虐待が発生した際、このような人は自分で事態を深く考えることができないため、単に「信じられない、そんな酷いことをする人がいるなんて!」とショックを受けるだけで、思考を停止してしまうことがあります。

つまり、虐待の原因を個人の問題として片付けてしまい、その先の深掘りや改善に繋がりません。

このような発想は、福祉を仕事として捉える上で致命的な結果を生みます。

たとえば、虐待を起こしたスタッフの心理を「特別なもの」として、自分とは異なるものと考えるスタッフは、利用者の問題行動に対しても「信じられない」「理解できない」と同様の反応を示しがちです。このような思考では、問題行動への支援やアプローチが不十分となり、そもそも利用者に対する理解が浅くなります。

また、人間は集団の中で無意識に優劣を比較し、劣等感を基に行動する傾向があります。

上には従い、下を従えようとする。このような行動原理は、仕事上の上下関係だけでなく、学歴や能力など、比較できるあらゆるものに基づいて優劣を測る手段になります。

さらに、この劣等感は、悪意と呼ぶにはあまりにも原始的で、「当たり前」として無自覚に判断基準になりがちです。そのため、悪意に鈍感な人であっても、劣等感の縛りによって他人を無意識に非難することがあります。

たとえば、利用者が些細な問題を起こした際、「何度言ったら分かるの?」「やらないでって言ったでしょ!」「ダメなことはダメ!」と自然と声を荒げる場面があります。このとき、あなたはそれを「正義感」や「常識」「ルールだから」と考えていませんか?

しかし、そうではありません。実際には、利用者があなたの言うことを聞かないことに対して、あなた自身が怒りを感じているのです。それは利用者の問題行動のせいではなく、あなたの劣等感に基づくものなのです。

では、このように利用者を追い詰めてしまう「無自覚な支援」に対して、スタッフが自覚的になるためには、どのような解決策があるのでしょうか?

無自覚な支援②に続く。

文責 とーえ