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「老人と海」〜を読んで聞きまして。

普段基本的にフィクションの本は読まないのですが、ヨルシカというアーティストと出会ったことで小説に手を出すようになってしまったので、レビューしていきたいと思います。

今回取り上げるのは、ヘミングウェイ作の     「老人と海」と、つい最近リリースされたヨルシカのシングル「老人と海」です。

なんでヨルシカというアーティストに出会ったことで、読んでいなかった小説に手を出すようになったかというと、

ヨルシカはサウンドの細かいディテールからアレンジ、メロディ、言葉……と、
さまざまな音楽の要素を総動員して、音楽そのもので物語を紡いでいる。
それゆえ、ボーカル曲のなかにはさみこまれたインストもまた、何気ない、
しかし物語を成立させるのに欠かせないワンショットのように思える。
​


引用の紹介にもあるように、アルバム全体で一つのオリジナルストーリーが完成するようなヨルシカの構成・表現、綺麗な歌詞とメロディにまず惹かれたこと。


また、最近のシングルでは小説作品をモチーフに曲を制作していて、その曲の世界を楽しむためには小説を読むしかなかったからです。笑

直近で発表されたシングルでは宮沢賢治の 「風の又三郎」

そして今回の 「老人と海」です。



今までのアルバムで表現されてきたようなオリジナルストーリーもとても魅力的でしたが、(各アルバムに小説や、登場人物の心情を綴った日記や手紙が付随した限定版があり、プレミア価格になってるものもあり)

名作文学とヨルシカのコラボにたまらなくハマっております。

まずモチーフとなった小説を読む>>ヨルシカの曲を聞く。

すると作品に非常に深く浸ったような気分になれます。


今や知らない人がほとんどいない超人気バンドですが、まだあんまり聞いてない人はぜひぜひ。




本題の「老人と海」ですが、1952年にアメリカの作家、アーネスト・ヘミングウェイによって書かれた世界的ベストセラーです。

およそ70年たった現在も愛されるまさに不朽の名作。

84日間も不漁が続いた、不運な老人漁師サンチアゴの物語です。



物語の展開はとてもシンプルです。

不漁から脱するべく一人小舟で海に繰り出したサンチアゴ。

巨大なカジキとの三日三晩の激闘の末、ついにその大物を釣り上げます。

しかし、長い闘いの末、メキシコ湾の沖まで流され、

やっとの思いで捉えた獲物を舟につないで帰路につくサンチアゴでしたが、結果的に次々と襲ってくるサメの群れにカジキを食べられてしまい、最後には無残な姿に。



悲壮感と哀愁に満ちた展開ですが、実際にカジキ釣りを趣味としていたヘミングウェイの、細かい漁の手捌き、魚との駆け引きの描写はは臨場感とリアリティに溢れていてとても読み応えがありました。


また海を~ラ・マール~ スペイン語で女性の意

と表現するサンチアゴの海への愛情、かつて漁をともにした少年マノーリンに抱く恋しさなど、船の上で移り変わる心情描写もとても心に響きました。


ヘミングウェイに対して批判的だった同世代の作家達にですら、

 「彼の最高傑作」と言わしめた作品らしいです。



しかし驚きなのが、この作品を書いていた頃のヘミングウェイは絶賛不倫中

だったこと。笑

妻子ある身でありながら、アドリアーナという女性に恋してしまったヘミングウェイは、彼女との恋で活力を取り戻し驚異的なスピードで原稿を書き終えてしまったとか。


堂々と不倫する夫を前に、この作品を最初に読んだ妻が

 


「これならば、あなたが私にさんざん
加えたひどい仕打ちを、
もう全部許してあげてもいいわ。」



といって離婚したそうです。笑


結果的にはアドリアーナとの恋も実らず、持病を再発し、最後は入院していた精神科病院でショットガンを手に取り自殺。



物語そのもの以上に作者の創作背景にドラマが詰まる作品です。笑



その後の悲惨な運命を考えると、まさにヘミングウェイの生涯において全盛期の作品となった 「老人と海」ですが、ヨルシカの 「老人と海」ではどのように表現されているのか。



明らかに原作の内容とリンクする歌詞もあれば、思い当たらないものもあります。

 「貴方は今立ち上がる、古びた椅子の上から」

これは恐らく漁に出るサンチアゴを見守るマノーリンの目線で語られています。

しかし冒頭の

 「靴紐が解けてる」

は靴を表現するような描写は作中に全くありません。

サビの

 「遥か遠くへ まだ遠くへ」

は巨大な獲物を追いメキシコ湾を進み続けたサンチアゴのことを表現しています。

直後の歌詞の一人称が、 僕ら であることからはサンチアゴとマノーリンがまるで二人で海に出ているような表現にも感じます。


この後の歌詞にもヨルシカ独特の音楽表現がたくさん散りばめられています。 


ヨルシカのコンポーザーであるn-bunaさんの歌詞には、僕の脳みそでは到底処理できない世界観がたくさん詰まっています。



ヨルシカの楽しみ方として、含みや余白のある歌詞を思い思いに考察するというものがあります。


たくさんのヨルシカファンの方がnoteやbrogに考察を載せてくれるので僕はよくお世話になっています。


実は冒頭の歌詞に出てくる「靴」を使った表現は他の歌にも登場しています。

この曲はアルバム 「エルマ」に収録されている 「ノーチラス」という曲で、ボーカルのsuisさんが ヨルシカのはじまりの曲 と語っている名曲です。

他にもその表現自体がヨルシカの代名詞となるような印象的なフレーズがたくさんあります。


話を老人と海に戻しますが、

ラストの歌詞では

 「ライオン」という、曲だけ聞いた人にはあまりに突拍子な表現が出てきますが、ライオンは作中に繰り返し登場します。




サンチアゴは少年時代、水夫をしている時に乗ったアフリカ通いの船の上で、砂浜を歩くライオンを見かけていました。

いまはもう嵐の夢は見ない。女たちも、大事件も、大魚も、喧嘩や力比べも、亡き妻も、
夢にはもう出てこない。いまはただ、あちこちの土地や、浜辺で戯れるライオンしか夢には現れない。
黄昏の浜辺で子猫のように戯れるライオンたち。老人は少年を愛するように彼らを愛した。

出典:「老人と海」新潮文庫

若き日に見た、ライオン。

不漁が続きながらも、諦めずに海に繰り出すサンチアゴにとって、

夢と希望の象徴のように何度も語られていたのが百獣の王、ライオンでした。

作品の最後でもサンチアゴは、カジキ・サメとの格闘で疲れ果てて眠った末にライオンの夢を見ています。


84日ぶりの獲物を最終的に棒に振ってしまったサンチアゴは、夢破れてしまいますが、

それでもなおライオンを夢見る少年のような心が

 


「貴方の眼は遠くを見る 
ライオンが戯れるアフリカの砂浜は

海のずっと向こうにある」

未だ遥か遠くを一点に見つめ、少年時代のライオンに想いを抱くという、

この曲の結びに非常にリンクしているなと思いました。

たぶん聞いた人、読んだ人でもっと違う楽しみ方・捉え方ができるはずです。


名作文学とヨルシカの曲で物語を何百倍も楽しんでみてはいかがでしょうか。



あくまでも個人の意見です!それでは!












































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