アメリカのコンビニにて
(出題編)
あの日俺は、ベイエリアから南に3時間ほど下ったパソロブレスという街のワイナリーを訪れていた。サンフランシスコの富豪たちを抱え込んでお高くとまったナパとは違い、パソロブレスという街は知名度を上げてやろうと向上心に溢れていて心地が良い。この日も手頃な値段で美味いワインを堪能し、さて帰るかと車を走らせていた折、尿意を催して復路のなかほどにある名もない街でフリーウェイを降りた。適当なコーヒーチェーンに入ってひと息つくことも頭をよぎったが、雨が降っていて移動が面倒だったので、フリーウェイの横にあるガソリンスタンドに付属のコンビニ、確かam/pmだったか、そこのトイレを借りることに決めた。
大体こういう場面では顧客用のトイレがあるのかどうか少し不安になるもんだが、車を停めたちょうど向かいに屋外のトイレが見えていて、その心配も杞憂らしい。トイレの扉の前には女性がひとり、申し訳程度にせりだした小さな屋根の下で雨を避けながら順番が来るのを待っている。俺はコンビニに足を踏み入れ、レジの前で暇そうに立っていた店員の兄ちゃんにトイレが使えるかどうかを尋ねた。こうした公共の場所のトイレには鍵がかかっていて、店で買い物をすることと引き換えに鍵を渡してもらえるというのが暗黙の了解なので、手ぶらで話しかけて嫌な顔のひとつでもされるかと思ったが、意外にもすんなりと鍵を手渡されて、
「ちょいと頼まれごとを聞いてくれるか? 今、お前の前にトイレを待っている女性がひとりいるんだが、どうやら鍵が閉まっているらしい。俺はてっきり同僚が中にいるんだと思ってしばらく待つように言っちまったんだが、どうもそうではなかったみたいでな。こいつを持っていって良いから、代わりに鍵を開けてやってくれ。ただし順番は守れよ。お前は2番目だからな」
などと体よく顎で使われるのだった。
「レジの兄ちゃんから預かってきたぜ」
屋外でまだ待っている女性に、紛失を防ぐためか無駄にデカい札のついた鍵を渡す。
「あら、ありがとね」
女性は鍵を差し込んで力を込める。だが開かない。困っているようなので俺も試してみる。力を込める。だが開かない。いや正確には、扉に2種類の鍵がついていて、下の鍵は手元のもので開閉できるのだが、上の鍵穴はまたそれとは別の形状をしていて、もうひとつ別の鍵が必要だと見える。見える、などと曖昧な言い方しかできないのは、下の鍵が解錠されたせいで少しだけ動く歪んだ扉の隙間から覗いて状況判断しているからだ。
すっかり困り果てた俺たちが再びレジの兄ちゃんを頼ると、
「開かないって? なら同僚に開けさせるからちょっと待ってな。おーい」
などと、品出しをしていたロン毛の店員を呼びつけた。軽く事情を話すとその店員は頷き、
「任せときな。どんな鍵でも開けてきてやるぜ」
などと嘯きながら、店の奥へと消えていった。てっきり2つ目の鍵を取りに行ったのだと思った俺は、少し忙しくなってきたレジの様子をぼーっと眺めていたんだが、ガムを買った男が会計を終え、コーラを買った爺さんが手間取りつつ現金で支払い、ついに愛想をつかした女性が肩をすくめてどこかに消えてしまっても店員は戻ってこない。もしかしてバックヤードにコンビニの裏口があって、そこから鍵を開けに行ったのでは、ということにようやく思い当たって外を確認しようと出口に向かいかけたそのとき、得意げな表情をして戻ってきた店員に肩を叩かれて、
「もう鍵開いてるぜ」
と告げられたのだった。
「あぁ、ありがとう」
俺は感謝の言葉もそこそこに屋外へと向かい、弱まる様子のない雨をくぐりながらトイレへと戻った。確かに扉が解錠されていることを確認し、ノブを回して個室に足を踏み入れた瞬間、
「なんだ、そういうことかよ……」
視界に映った光景に全てを察し、思わず笑みが溢れた。飄々とした顔をしていたアイツにサムズアップでもしてやりたい気分だった。
(解答編)
個室に足を踏み入れた俺が目にしたのは、扉をくぐって正面側にあるもうひとつの扉だった。便器に洗面台と、扉以外は普通の作りのトイレだったが、2つある扉だけがこの空間の奇妙さを演出していた。2つ目の扉は駐車場の反対側、言い換えればコンビニのバックヤード側に位置している。バックヤード側の扉には鍵がひとつだけ取り付けられていて、これは先ほど開けることの出来なかった駐車場側の扉の上の鍵と同じ型のようだった。つまるところ、2つ目の扉はコンビニの従業員がトイレに行く際に用いるものなのだ。ロン毛の店員は、コンビニの裏口から外に出て鍵を開けに行ったのではなく、このバックヤード側の扉を用いて個室内に侵入し、内側から鍵を開けたのである。そう考えると、両方の扉についた同型の鍵は従業員専用のものであることがわかる。従業員が用を足す際には、先ほどロン毛の店員がやったようにバックヤード側から個室に入り、内側についた3つの鍵を全て閉めることで、例え他の店員との連携不足などで客の手元にトイレの鍵が渡ってしまっても、外から鍵を開けられてしまう心配はなくなるという訳だ。
これらを総合して、駐車場側の扉が施錠されていた原因を考えると……。
「おいロン毛、用を足し終わったら従業員用の鍵は開けて去りやがれ」
そんなことを考えつつも、笑えるほど爽やかに仕事をこなす彼に対して怒りの感情は不思議と湧いてこないのだった。しかしまぁ、このトイレの構造的な欠陥はそんなことではなく、客が鍵をかけて個室にこもっていたとしても、従業員であれば侵入できるという点にある。【招かれざる客】がとんでもない【用】を足す可能性のあるアメリカの、ある種特殊な文化が垣間見えた瞬間だったのかもしれんな。
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