サッカー部のマネージャーとして④

バリバリ昭和の体育会系だったサッカー部

正直、自分たちの代はそんなに弱くないと思っていたので、当然決勝トーナメントに勝ち上がることができると思っていました。監督もちょっと自信があったんだと思います。当時、東京都の中でも強豪と言われていた帝京高校、修徳高校、東海大菅生高校などとも練習試合を結構やってました。
自分が高校のサッカー部に入ってから、帝京高校と練習試合をしたとしても、帝京高校のBチームとかが相手でしたが、私たちの代の時には、全国大会に出場するようなチームのBチームや帝京高校、修徳高校などの都内の高校はAチームと練習試合を組んでいました。

練習試合とはいえ負けると、当時は高校のグランドに帰って練習をする。という今では考えられないようなシゴキの時代でしたから、正直、帝京高校とか修徳高校に勝てるわけなんだから、練習試合はしたくなかったですね。笑

ちなみに帰って練習?ってあり得ないですよね。そうなんです!でも、昭和のバリバリシゴキの体育会系でしたから、普段の練習でも、今のように練習中の水分補給もほぼなし!考えられませんよね?笑
3年生は、練習の合間に水道に行って、水を飲んでも良いんですが、1年生は練習中に水を飲むことが許されないんです。笑
そんなの死んじゃうでしょ?!って思いますよね?そうです!だから、トイレに行って、手を洗うついでに顔を洗うようにして、その時に手のひらに残った水を少し飲む!みたいなテクニックをみんな身に着けるんです。笑

練習試合が10時ごろからキックオフでA戦とB戦と35分ハーフの試合を2試合ぐらいして、13時ごろに練習試合が終わります。その練習試合で大敗したり、試合の内容が悪かったら、15時とか16時に高校へ戻って、いつも通りの練習をするんです!普通に試合をして、その会場から高校へ戻って、そこから2時間の練習メニューを普通にこなします。笑
今、こんなことやってたら、それこそSNSであげられて、大炎上!間違いなし。笑。練習が終わるのが18時とか19時ですよ。子供が家に帰るのが21時とか22時になるんですからね。親も黙っていないですよね?笑。ある意味、スゴイ時代でしたよ!ですから、高校時代のサッカー部で楽しかった思い出はそんなにない!笑。でも、3年間やり切って良かったと思っていますよ。
だって、社会に出たあとにも、たくさん理不尽なことがありましたが、高校のサッカー部の理不尽さに比べたら、こんなの可愛いもんだ!って想えたのは、高校のサッカー部のおかげだと、すごく感謝しています。笑

高校サッカー選手権地区予選で敗退

高校3年生の最後の大会、お正月に開催される全国高校サッカー選手権大会の予選。都道府県の予選の一番最初は8月ごろからスタートする。
私の高校は東京都でしたが、8地区に分けられていて、各地区の地区予選が8月のお盆休みぐらいから始まります。地区で抽選会を行い、2つ?3つのトーナメントに分かれて、多くて4試合?5試合を勝ち抜けば、東京都予選に残ることができた。(現在は、2次予選でリーグ戦があって、そのあとベスト16からトーナメント戦ですかね?)

監督もそうだったと思いますが、当時の我々3年生も当然、地区予選を勝ち抜き、組合せが良ければ、準決勝ぐらいまで行けるんじゃないか?と思っていました。1回戦シードで2回戦から出場し、初戦の都立高校を相手に圧勝し、翌日は地区予選の準決勝で、学習院高校と対戦しました。前日の晴天とはうって変わって、土砂降りの雨で、完全に水溜まりの中でサッカーをするような試合になった。圧倒的に押し込みながら、なかなか得点を奪えない。そんな中で、相手の中盤からロングボールが出され、ちょうど自陣のペナルティーエリアの中で、GKが取れるようなボールでした。しかし、GKが相手FWの猛烈なプレッシャーに焦ったのか?雨が目に入ったのか?ボールの落下点を見誤り、ジャンプしてキャッチできずにボールを後逸される。それをプレスをかけてきたFWの選手が無人のゴールに流し込み、失点。その10分後にも、相手の中盤から出されたシュートのようなスルーパスが飛び出したGKの手前で水溜まりにはまって失速したボールを相手FWにドリブルでかっさらわれて、そのまままた無人のゴールへ。これで0‐2の完敗。
まさかの地区予選敗退でした。早すぎる引退。本当に悔しくて、すぐには大学受験へと頭を切り替えられませんでした。元々、体育大学への進学を希望していたので、筆記試験はそんなに難しくないだろう!と踏んでいたので、予備校に通うことはせず、親には学校で自習して帰ると言って、サッカー部の練習に出ていました笑。もちろん、10月ごろからは受験勉強もしてましたよ。でも、後輩たちの練習試合に行ったり、Jリーグの補助学生などには気分転換で行ってました。

正月の高校サッカー選手権も手伝って、最後の最後までサッカー漬けだった。

高校3年生のお正月に開催された高校サッカー選手権大会の本大会も西が丘サッカー場の補助学生をしていました。笑
他の高校の先生からは「大学決まったの?」と聞かれましたが、これからっす!って言ってました。今考えれば、ホントにバカですよね。当時の先生たちは、こいつ浪人するな!って絶対思ってましたよ。だって、センター試験を翌週に控えた高校サッカー選手権大会の決勝戦も帝京高校が勝ち上がったこともあって、補助学生として国立競技場に行ってましたから。笑

ホントに勉強は大嫌いだったけど、それくらいサッカーが大好きだった高校時代。学校の成績は中高一貫コースでずっと88人中85~88位で、みじめな想いはしてたけど、でも学校は好きだった。何せ、サッカーを通じて、いろんな先生たちにお世話になった経験が大きかったと思う。当時、高校生のうちに知ってよかった大人の世界も一部知ることができた経験が大きかった。だから、高校の3年間、選手で1年半とマネージャーで1年半と頑張って良かった!多感な時期に彼女も作らず、サッカーに注いだ人生に悔いはない!


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