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芸術の傑作、愛の傑作。どちらも死ぬまで変化してゆく

昨日は夫と意見が合わないという話をしたので、今日は夫と意見(価値観)があうな‥と思った話

家族で勾玉作り体験に行った
3×2ほどの直方体に切り出してある石の中から種類を選び、砥石や紙やすりを使って勾玉の形に削っていく‥
というもので、さほど硬くなく加工しやすいため小学生でも集中できれば1人で作ることができる

普段平面でしか絵を描かないため、立体になると苦戦するが削りながら調整していけばいい気軽さもあり、気づけば2時間ほど没頭して石と向かい合っていた

「もうできた!」と言う娘の勾玉は、多少の歪さはあれど彼女にしか出せない美しい弧を描いていて、こりゃ国宝級だね!と褒めながらわたしはわたしで作業をすすめる

無言の時間が続き、娘は自分の勾玉をみながら静かに待っていた
‥と思いきや、やっぱり気になるところがあったようで気づけば紙やすりで細かな調整をしている
見れば見るほどに手を加えたくなり、研磨を重ねる
それを愛着というのだろうし、創造の要なのだとも思う

そんな娘をみて、夫がひとこと「ダヴィンチかよ」とつぶやく

そしてまた、各々が各々の勾玉との間で静かな時間をすごす
ダヴィンチ‥?
しばらくしてから頭をもたげる

勾玉→ダヴィンチ?→勾玉→‥ダヴィンチ?

何往復かしたあと(たっぷり5分はあったと思う)
「ダヴィンチってなに?」
と聞いてみると、「あいつも死ぬまでモナリザに手を加えてたらしいよ」と教えてくれた
そしてレオナルド・ダヴィンチ「モナリザの微笑み」
の解説を滔々とはじめる

もはや後半は聞いてなかったし、娘も息子も話の間に仕上げにはいった
こうやって「好き」を語る姿勢に関して、わたしは彼と価値観を共にするのだと思った

多分死ぬまで、お互いの好きに手を加え続けるのだと思う

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