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「わたし」を解放する

次男の幼稚園の個人面談があった。

保育参観も、保護者会も軒並み中止になってしまったから、次男の様子を知りたいと思って申し込んだ。

次男は陽キャラで、家でも常に笑いをとってくる。説教されると白目をむいて動かなくなり、こちらが笑うまで変顔で攻めてくるような子🙄

とはいえ、激しく元気!!というわけではなく、どちらかというと大人しいタイプだ。

先生「泥んこ遊びとか、プールとか、そこまで得意ではないのかな?」

わたし「そうですね、激しく泥とか水にまみれるタイプではないかもしれないです」

先生「そうだよねぇ。でもね、激しいからいい、大人しいからダメっていうのではないから。先生たちは、『みんなやれやれー!!』って感じでけしかけるけどさ。泥んこも水遊びも、気持ちを解放することを目的でやってるのね。その子なりに気持ちを解放できればいいから。激しい子は激しく、大人しい子は、その子なりの表現で解放してくれるだけでいいの

この言葉がすごく印象的だった。そんな眼差しで子供たち見てくれているのだなぁ。その子なりの気持ちの解放を認めてくれるってなんて素敵なんだろう、と。そのあと、次男の絵を見せてくれて「ちょっと見てよおおお!!!こんなかわいい絵を書くんだよー!!!!」って、心から喜んでいる先生をみて、次男の絵よりも先に感動してしまった(ごめんよ次男)。

この言葉を聞いてから、「気持ちの解放」というフレーズがわたしの中に響くようになってきた。

気持ちの解放〜長男バージョン〜

長男は空手を習っている。

そろそろ昇級審査があるから、家で空手のDVD見よう、と見ていたら、長男が「よし!」と立ち上がり動きを真似し始めた。本人は、モノマネ気分だったようで、笑いながら「エイッ!」と世界選手権で優勝した方の形の動きを真似る。

ちょいちょいちょい。待って待って。そんなに早く動けるの?空手のお稽古では見せたことのない素早さを披露して見せた。おいおい、できるんかーい!!!と笑ってしまうほどだった。長男も大人しいほうだし、なにしろ人目が気になるタイプなので、周りを気にしながら空手のお稽古をしているのはなんとなくわかっていた。

けれどもさ!!!!!

家で気持ちが解放されるというだけで、こんなにも身体の動きが変わるなんて……。本当におもしろいと思った。

気持ちの解放といえば、こんなこともあった。また、長男が友達とのトラブルで、学童を休みたいと言ったときのことだ。

「グーで殴ってきたんだよ」夕食の時に死んだ目で(笑)わたしに話してくれた。「それは嫌だったねぇ」と寄り添っていたら、長男が机をどんどんどん!!!と叩き出した。

お!これは!感情の解放のチャンス!!!と思ったわたしは「あ、なになになに、今のなに??今なんで叩いたの??」と聞いた。長男は「ストレス発散」と呟いた。「うわ、めっちゃいいじゃん!!ストレス発散!」と言ったら、わたしの隣に来て、わーんと泣き出した。

「いいよ、気持ち出していくの、すごく大事なことだよ。ムカつくー!!って思うなら、それ出してこう!お母さんならね、クッションとかボカスカ叩いたりするよ!!!」といって、わたしがクッションをバシバシ叩いて見本(笑)を見せた。

すると、いやなことをされた子の名前を叫びながら、涙顔でクッションを叩いては投げ、叩いては投げ……。だんだん、顔が晴れやかになってくる。

「はーーーっ!!スッキリした!!!」

これだけでは明日学童行く気にはならないかなと思い、どんな心持ちで行けばいいかなどを話し合って、翌日は元気に学童へ行ったのだった。


気持ちの解放〜わたしバージョン〜

わたし自身、ここのところ自己対話をずっと続けていたから、気持ちの解放も少しずつできてきたな、という実感があった。

気持ちの解放は、まずなによりも、「自分を許す」ことからはじまる。自分が表現したいことを、表現していいよ、と自分に許可することがスタートだ。

わたしは、自分の気持ちを押し殺して、周りに合わせることが得意なタイプだったから、「気持ち出していいんだよ」と自分に言ったところで、あまり出てこなかった。

けれども、「もし、自分が子供だったとしたら、どんなふうに思ってどんな風に表現するだろう?」と考えてみると、

「もーやだあ!!!もっとこうしたいよー!!!」とか、「もっとわたしのことみてよー!」とか、本音の部分が顔を出すことがあって、その気持ちに気づくだけで、すごくホッとするし、自分の身体が緩むのがわかったので、こういう方法も取り入れてみていた。

「頭の中は、なにを考えても自由。誰にもみられない」というわたしの大好きな人の言葉を思い出しては、自分の思いにひたすら許可を出していったら、解放することが上手になった気がする。

わたしの友人が「モヤモヤすることも成功体験だ」と言ってくれたことがあった。本当にそうで、怒りも、悲しみも、モヤモヤもイライラも、全部生まれて良いものだし、成功体験。その許可によって自分の気持ちがきちんと浄化というか、消化されていくのだろう。

これをやっていくと、前にも記事に書いたが、子供たちのどんな思いも否定しなくなるという現象がおこる。

「友達にそんなこと思っちゃダメ」とか「兄弟ゲンカするな」とか「機嫌悪いのやめて」とかを思わなくなって、「へー」という平坦な感じで彼らを見守られるのだな、と最近思う。

ただでさえ、あーしろこーしろと親は言ってしまうから、気持ちのところはせめて束縛しないでいれば、子供たちも少しはのびのびできるのかな。

そう考えていくと、自分の気持ちの解放は、心の健康の下地というか、基本になるところなのでは?と思っている。

息子が通う幼稚園の先生方は、子供たちをそのまんま肯定してくれて、気持ちを受け止めてくれて「自分が大事にされる」という体験をさせてくれる。

長男も、幼稚園に通っていた時、必要以上にまじめな性格を、先生はこう言った。

「そういう【ザ・長男】ぽいことも、本人はやりたいんだと思うの。だから、『まじめじゃなくていいよ、そんなに固く考えないで』とか言わなくていいのよね、そういうまじめなところも、すてきだよ、って肯定してあげるところからはじまるんだよね」と。

「【こういう子が◯で、こういう子が×】ではない、その子そのものが全員◯」という考え方が、子供たちの心を育ててくれていると思うと、わたしも同じように育てたいなと思う(というか、わたし自身もそういう教育に出会いたかった)。

でも、そのために一番必要なことって、親であるわたし自身が、気持ちを解放していくことなんだろうな、と日々の生活を通して感じている。解放して、わたしそのものが◯である、としていく。

noteをこんなふうに書いていくことも、わたしにとっては気持ちの解放だ。

こうやって、わたしを解放して、子供たちにも気持ちを解放してもらって、ともに循環を生み出せたらいいなぁと思う。



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