テレビが壊れた
テレビが突然故障した。
チャンネルを変えると電源が切れるようになって、そこから、電源を入れても数秒後には落ちてしまうようになった。
私が大切に録りためていた、大好きなアーティストとか、ドラマとか、インタビューとかとかが、消えてしまうと気づいた時の焦りようったらなかった。
最近ひどく落ち込む出来事があって、その落ち込みからようやく上がってきたところで、さらに突き落とされ、おお、あなたはこんな些細な楽しみまで奪っていくのか、天に向かってくそーっと吠えた。
修理が来るまでテレビなし生活。
テレビ漬けの長男は大丈夫だろうかと思ったけれども、彼には動画というお楽しみツールもあるので、それなりに大丈夫である様子。
息子たちを寝かしつけて、いつもならば夫のテレビタイムの間、私は半身浴をしたり、残りの家事をしたりとしているのだが、そのテレビがない。
自然と2人で話をしていた。
その時、テレビ漬け長男(浅漬け大根のような呼び方)の話になった。
彼との接し方について話していた時、「俺はちゃんと長男を受けとめているだろうか」と夫が言った。
そのときわたしは、つい先日行ったSuperflyのライブで感じたことを話した。
Superflyの最近の楽曲のメッセージは、「そのままのあなたでいい」というものが多い。
「Beautiful 」であれば、「私でいい 私を信じてゆくのさ」と、「Gifts」であれば、「あなたがあなたでありますように」と歌っている。
だから、この間のライブは2時間半かけて、「そのままでいいよ、あなたはあなたらしく、焦らなくていいんだよ」とじっくりメッセージを胸にしみ込ませてもらった感じがした。ライブ終盤では、会場全体が、幸福感そのものだった。
志帆ちゃんは、「帰りたくないよー」と最後に言った。会場全体を包んだ温かさがそう言わせたのだと思う。
「だから、肯定の力ってものすごいエネルギーを持っているんだと感じたんだよね」と私が言うと、夫は私の言葉が終わりかけるところで「わかった!」と叫んだ。
「俺、全然長男をそのまんま受け止めてないや」
息子たちをまるっと肯定するのは本当に難しい。
息子たちより長く生きている分、先のことを見越してアドバイスばかりしてしまう。
学校行くとき緊張する、と長男が話したとき、
「大丈夫だよー。◯◯すれば緊張もしなくなるよ」と言った。もしかしたら、
「そうかそうか、緊張するよね。それでもいいんだよ」と声がけするのがいいのかもしれない、とかそんな話をしていた。
出てくる感情は、否定しないでそのまま出させてあげたいけれど、どうしても大人の考えでぱしんと叩いてしまうなー、
寄り添って、子供たちときちんと向き合っていこう、
なんか、今日いい話できたね
と30分ほど話こんでいたとき、
ふと、
テレビが壊れていたことに気づいた。
おお、楽しみ奪ったとか罵ってすみません。テレビが壊れたおかげで、こんなギフトを受け取れました。
と、また天を仰いだ。