ギャン泣き次男の結末
今日、家族みんなで実家に行った。わたしの母はゲーマーなので、ゲーム好きな夫と長男(8)と3人でゲームについて語り合っている姿がとてもシュール。テーブルで向かい合い、まるで、グレた息子を説得している親とその親のような真剣さなのに、話の内容は、ゲーム攻略法。そして皆の手にはスマホがある。今時かっ!!とツッこみたくなった。
夕方から、次男(4)のスイミングがあるので、午後の良い時間に車で帰ったら、次男は案の定寝てしまった。
車が着いた途端、泣く。ひたすら泣く。いやだああ、眠いーーーっ!!!と泣く。それはそうだろう。
ただ、ただ泣く。車から降りても歩かない。家についても寝たまま動かない。
「トイレ行って、着替えて、スイミングいくよ!」
びゃああああ、ねーむーーいーーー。目から鼻から滝のごとく水が流れる。
今日は、スイミングの試験の日だった。試験に受かれば級があがる。一応、大事な日。
でも、面白いことに気づいた。「このまま、眠くて行けないってなっても、別にいっか」と思ってみたら、不思議なほど余裕を持って次男を見ていられたのだ。
「今日はっ!!!試験だからっ!!!!ぜっっったい行かないといけないのよっ!!!」とスーパーサイヤ人みたいに髪の毛を逆だてて、ぶわんぶわん体中から火を燃え上がらせていたら、たぶん、「ゴルァアア!!!泣いてんじゃねえ!!!」レベルで叫んでいたのだろう。
頭の中に選択肢を複数置いてあげるってすごくいいんだなとこの時感じた。遅刻しちゃダメと思えば思うほど、イライラするから、遅刻しても休んでもいいや、と思って見守った。どっちでもいい、ってすごく緩む。
次男(4)はとにかく泣いている。
パンツ脱がせても、ち◯ち◯出したまま泣いている。「ねーむいーーーー!!!!うわーーーーん!!!!」
「そーだわねー、そら、寝たいわよねー。眠いよねー」と言ってみるけれど、なんの効果もなし。
「ちょっとさむいからああああああ」
いやそうだよ、下半身出しちゃってるんだから。だからトイレ行って着替えようよ。
あー。めんどくさい。すんなりいかないの、めんどくさい。やっぱりスイミングの前に予定入れて、車に乗せるのはダメだったんだな。と考えていた。実家に行きたいと言ったのは息子たちだったから、すごく責めたくなった。でも、それって、私が気がつかなかっただけじゃない?誰も悪くないよな。そんなことを考えていたら横から夫が少し大きな声で言った。
「もう、あれだな!スイミングの前にばぁばの家に行くのはやめようね!」
びゃあああああ!!!!!鼻水さらに垂れる。ギャン泣きの「ギャン」の勢いが増してしまった。
ほー。そうだよね。そうなるよね(笑)。一瞬、チョコレートとかあげてみよっかな、と思った。終わったらアイスあげるとか言ってみる?でも、それって、機嫌悪くなったときの対応パターンが食べ物に固定されちゃうかしら。なんかそういうのなしで、乗り越えて欲しいな、と思っていた。
でも不思議なことに、なんというか、「機嫌が悪い」という状態の彼をダメと思わなかった。めんどくさいとは思ったけれど、「機嫌悪いとかほんとやめて」と思わなかった。眠ければそれは機嫌悪かろう、と理解できた。これは、自分の中の機嫌の悪さとか、ネガティブな気分を許せていたからかもしれないなと感じた。あとは、そういう嫌な気分を自分の中で感じ切ることをわたしが日常的にやっていたから、息子にも感じ切ってほしいと思えたのかもしれない。
だから、スイミングには行って欲しいとは思いつつ、泣いてもいいよと思っていた。でも、おしっこだけは行ってくれ、もらすから、とも思っていた。抱っこして背中をひたすらさすっていたら、落ち着いてきた。トイレに行き、泣きながら夫にバイバイして、外を歩いた。抱っこしていこうか、といって、抱っこしながら歩いてみた。だんだん落ち着いてくる。
歩けるようなので、手を繋いで歩いてみたら、次男が「時間。時間なくなっちゃうよ?」とつぶやく。おおお!時間を気にしてくれている!!すごい!「気にしてくれてありがとう。大丈夫、間に合うよ」
スイミングスクールに着いて、着替え中も泣いている。でも、覚悟は決まっているようで、次男は準備をすすめていた。「よし!行ってこい!」と背中を叩いて送り出した。
今は水泳中に見学できないので、送り届けてからいったん家に戻った。はー、疲れたけれど、行ってくれてよかった。
エネルギーを邪魔しない
少し早めにスイミングスクールに迎えに行くと、次男が泳いでいるのを見ることができた。
キラッキラの、はじける笑顔で泳いでいた。
ヤバイ。泣きそう。なにー、あんな顔するの?感動なんだけど。マスクの中で口角上がりすぎて、はみ出たのではと思った。きっと目尻はシワだらけだったと思う。
他のこどもたちが次々とプールから出てくる。お母さん方の声が聞こえてくる。「どうだった?受かった?」「なに?どこがダメだったの?」
あ、そっか。試験だったのか!忘れてた。だけれど、とにかくあの嬉しそうな顔がもう、わたしにとっては合格いただいたのと同等の、というかそちらよりも大きい喜びだった。
次男が戻ってきたので、「どうだったー?」と聞いた。わたしは、合格かどうかを聞いたつもりだった。次男は、ツーオクターブくらい高い声で「たーのしかったぁあああ♡」と言った。「見た見た!見たよ!!めっちゃ楽しそうにやってたじゃーん!!!」「え?見てたのお?♡」もう、試験の話なんてひとことも話さずに家路についた。キャッキャ言いながら、スイミングでの出来事を聞いていた。
すると、自宅の目の前で、ずるっと滑って次男がコケた。今日で2回目。どちらも結構派手めにコケた。
わたしが、「あー、その靴、ダメだね。雨だと滑りやすいから、雨の日は別の靴がいいかもね」と言ったら、「やだ。これがいいの。これが好きなの」「転んでも?」「転んでもこれがいい!」「そんなにお気に入りかー!いいねぇ」
この時、次男のおしりをはたきながら、大人の常識という色眼鏡で子供を見て、子供から出るエネルギーを止めたらいけないんだな、と感じた。
ギャン泣きも、「ゴルァ!!」と一喝すれば止まったかもしれない。
楽しかったあ!!!!の気持ちも、「楽しかったじゃなくて!!!うかったの?落ちたの?なにが悪かったの?」と言えば、薄まって、消えてしまったかもしれない。
この靴がいいの!っていう気持ちも「でも、転ぶでしょ!ケガするんだから、ダメ!!」といえば、簡単になかったことにできるかもしれない。
でも、ちゃんとそれらを出し切れたら。
子供は絶対、気分がいいはずだ。
そのためには、わたし自身が、出したいエネルギーを、ちゃんと、出し切ること。嫌な気分も、楽しい気分も、こうしたい!も。その気分を感じて、味わって、消化させていくこと。
自分がそれを止めてしまったら、子供たちのそのエネルギーも、止めたくなってしまうから。
もちろん、それが出来ない日だってあっていい。こちらにもこちらの事情があるから、ぴしゃんと止めてしまうことなんてきっとある。
それが、複数の選択を、頭に置くことだ。
家に帰ったら、長男にポケモンカードに誘われた。すごく頭を使うゲーム。げー。やる気しなーい。と思った。断っても、めちゃくちゃ楽しそうにルールを説明してくれている。
ふむ。そのエネルギー出してもらおうではないかっ!!!
結果。
惨敗で、二回戦目は途中棄権だったけれど(笑)、長男のエネルギーは、出し切れたのではないだろうか。そんなに早口で話せるんですか、そんなに嬉しそうに実況しちゃいますか、と言いながら、自作の歌を歌っている長男を眺めた。その後ろでは次男がへんてこりんな踊りを踊っていた。
2人のエネルギー放出の邪魔をしない。続けるよ、お母さんは。でも、ポケモンカードはもういいです。