正しさなんて
長男の空手、形の試合のときのこと。
長男が青色🟦
相手が赤色🟥
形の披露が終わり、5人の判定員をみたら、青色の旗が2本、赤色の旗が3本あがっていた。
結果、赤の勝ち。長男は負けだった。
長男が負けて悔しいと言った時、先生がおっしゃってくださった。
「空手の判定ってね。ほんとにわからないの。絶対こっちが勝ちだよ!って周りみーんなが思ってるのに、負けることがあるの。
判定員がぜんぜん差がわからなくて『えー、どっちだろう、どっちかというと、こっちかなぁ』とあげた旗が、5人とも同じ色だと、まるで圧勝のように見えるんだけどね。実は大差なかったりするのよ。だから、結果は気にしないの!!!」
長男は死んだ魚の目のまんま、うすーく頷いていた。
【あなたは負けです】ってはっきり言われたら、そりゃあ落ち込む。
それが全てのように感じる。
あなたは、力がないね、って言われているような。
でも、その判定がそもそも曖昧なのか……
これを聞いた時に、人生もそんなもんなんじゃないかなーと感じた。
本当のように見えることであっても、それが正しいかのように見えても。
正しさなんて本当は、どこにもないんじゃないかなぁ、って。
だって「正しい」と言われていることは、時代によって変わることもある。
昔は赤ちゃんは抱っこしすぎると抱き癖がつくからダメと言われていた。でも今は、たくさん抱っこしましょう、と言われるし。
「食べ物はこれを食べるのが正しい」というのも、宗教や地域で変わってくる。
戦争なんて、人を殺すことが正義になるのだしね……。
この人にとって正しいことも、あの人にとっては間違いであることもある。
正しさから外れることにあんなに怖がっていたけど、正しさなんてどこにもないんじゃないか、と最近感じる。
いつもいつも、頭の中で「正しさ」と比較して、自分を裁いてきたけれど、もうそんなの必要なくて、自分の中の正解がなんなのかをしっかり肚に据えることだけが大切なんじゃないか。
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子供達に、「ねぇ、お母さん?おかしいよね?普通こうだよね?」とよく聞かれるけれど、
「え?普通なんてないよ。その人がそうなら、そうなのよ。普通なんてどこにもない」と話している。
(そうはいっても、『こんな汚い部屋は普通じゃありません!』とよく言ってしまうけど笑)
普通を目指すのではなくて、「わたしの普通」を大事にする。わたしは、これを意識するだけで、だいぶ生きるのが楽になったから。
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小さい頃からずっとずっと、頭の中で判定員を飼ってきた。
これは正しい。
これは間違ってる。
いつもいつも、旗をあげてきた。
自分も裁いてきたし、他人も裁いてきたし。
でもそれだけを続けていく人生って、たくさんの「ダメ」を作り出してしまうことで、やっぱりしんどいよな。
これはみんなからしたら、間違っているかもしれない。でもわたしはこれがいい。これをしたい。これが好き。
そんな風に進んでいけたら……
無力だなあと思う人生でも、自分に力が戻るよね。
「正しさ」という判定だけを頭に置かなくていいよ。負けたとしても、あなたには力がある。
わたしがそれを伝えなくても、それを信じて息子が生きていってくれたらいいな。
周りの正しさ、
大多数の感覚を良しとするのではなくて、
自分の中にある正しさ
自分の感覚を
大事にしていってほしい。