長男が学童を休みたいと言った日
ある日、帰宅した長男Sが「明日学童やすみたい」とうつむきながら呟いた。「今日5回泣いたの」「バカとか言われて」「明日は休みたい」
Sは繊細なので、これは我が家では通常の一コマ。そうか、嫌だったね、嫌な思いしたねぇ。とハグをして、話を聞くのがいつものパターンだ。
夕食の時になっても、Sの目が死んでいた。「もういやだ。嫌な出来事が起こらないようにしたい。学童いかなければ、嫌なこと起こらないでしょ?」
わたしは、それに対して結構なアツさで答えた。
「嫌な出来事をなくすっていうのは、一生できない。生きている限り、嫌なことは必ずあるよ。お母さんも、嫌なことなんてたーくさんたーくさんあったよ。そんなのこれからもたくさん起こるの。だけど、嫌なことが起きた時に、どう動くかは自分で決められるし、選べる」
長男はテーブルにつっぷして顔を隠してしまった。
わたし「バカって友達に言われたじゃん?それであなたは、本当にバカなわけ?」
S「ううん」
わたし「じゃあ、『バカじゃない』そっちが本当でしょ。そっちを信じようよ。Sがそれは決めていいんだよ。誰がなんといおうとも、Sは素晴らしいし、最高だし、なんにも問題ない。それはいつも言ってるよね?人に何か言われて傷つくのは全然いい。傷つくのが当たり前だもん。だけどね。その後に必ず考えて欲しいのよ。
自分の価値は、誰が決めるんだっけ?」
Sは、彼自身を指差した。
「そうだよね。Sが自分で決めるんだよね。人からなんて言われても、Sが何を信じるかは、自分で決めていいんだよ。選んでいいんだよ」
ここまで書いていて、よくぞこんな長い話を小2が聞いてくれたなとちょっと驚く。ほとんど受け売りの言葉だけれど、すごいパッションで話していたから、こんなに長いと気づいてなかった。でも、わたしはさらに続けてしまっていた。
「お母さんね、文章書くプロの人から『あなたは文章書く才能ないですね』って言われたことがあるの。それ言われたら落ち込むよね。だけどさ、お母さんはそれ信じなかったんだよね。あの人はそう思ったかもしれないけど、わたしは才能がないのではない。って、決めたの。もしあのとき、『わたしは才能がないのか。じゃあ、文章書くのやめよう』ってしてたら、今苦しんでたと思うし、本も出せてなかったと思うんだ。だから、あのとき自分で選んでよかったなって思ってるの」
すこしずつ、Sの目がこちらをじっと見るようになってきた。
「Sは。誰がなんといおうとも。本当に素晴らしいよ。バカでもなんでもないよ。というか、バカであったとしても大好きだよ。失敗しても、間違っても、何をしていても、いつでもお父さんとお母さんは味方なんだよ。それだけは忘れないで」
うん!!!と明るく声を出して、Sは「みて!完食!」と笑顔でお皿を見せた。
で、明日はどうする?と聞いたら
「やすむーっ!!」と笑顔で答えた。(結局次の日は休んでリフレッシュすることにした)
悩んで苦しむは尊い
悩む、苦しむは、大切な経験で、尊い体験だ。
次男が3歳でメガネをかけることになり、はじめて幼稚園にメガネをかけて登園した日を思い出した。みんなが、「どうしてメガネなの?」って笑ったと、泣きながら話してくれた時、「ああ、そんな風に、複雑な思いを抱えるという体験をするまで成長したんだ」とその成長が嬉しくて、かわいくて抱きしめた。
その時と同じように、長男はいま、友達との関係で悩むという、とても大切な体験をしてくれているんだなぁと、しみじみ思う。
これからも、苦しんだり悩んだり、葛藤するのだろう。
わたしが伝えたいのは、ただひとつ。
自分には、現実を変えるパワーがある。それだけ忘れないで欲しい。
苦しい時でも、現実に飲み込まれない力が自分には備わっているんだよ、と。
自分を信じられるかどうかは、普段からどれだけ自分の気持ちを感じて、自分と対話できるかにかかっている。
その日も、泣くのを我慢しているようだったから、まずはさ、泣いてしまおう、と言った。泣くのは大切だよ。我慢しなくていいよ。泣くのを許そう、と。
隣で肩を抱きながら「どんな感じがする?」というと、
「悲しいよぅ。悲しい」と涙をポロポロ流していた。
感情を出してもいい。その感情を味わってもいいということを伝えたいので、毎回こうしている。たまに、「自分の胸に手を当ててみて」「自分の気持ちに聞いてごらん」ということもしてみるのだけど、そのときも、ちゃんと気持ちを言葉にしているのを見ると、かわいいなぁと思う。
充分に味わったら、すこしずつすこしずつ、自分にパワーを取り戻す作業をする。(これは、わたしの方法だから、息子たちが自分で見つけて欲しいなと思ってはいるのだけれど。)
深呼吸してみてごらん。空手でもやるでしょ?気持ちがリセットできるから。
「どうしたら、そこから自分の気分が良くなるかな?」って、考えていくのがいいかもね、と伝えた時、
「そういえばさ、◯◯ちゃんが、先生に伝えてくれたんだよね。ぼくが泣いてること」
と話してくれた。
「おお!すごいじゃん、助けてくれる人いるじゃん!ひとりで悩まなくても、助けてくれる人もいるんじゃーん」
すこしずつ顔がゆるんでくる。
こんな風にして、気持ちの出し方、気持ちの転換の仕方を一緒に体験する、ということが、自分の気持ちを感じること、自分と対話することの練習になるかなと思っている。
苦しい時は自分の声をしっかり拾っていく。これを続けていれば、きっと苦しみの波に飲み込まれることはないと思うから。
起こっている現実だけをみていると、途方にくれてしまう。
あの人はどうしてあんなことを言うのか。
わたしはなんでこんなに苦しいのか。
そっちだけみていると、苦しみは続いてしまう。自分に力がない。と信じてしまうから。
今いる場所で、自分が少しでも気が楽になるように、なにができるんだろう?そう考えられた時、自分にパワーが戻っていく。
わたしには、現実を変える力がある。たとえ現実を変えられなくても、自分の気持ちが楽な状態で生きる未来はいくらでも創れる。
そう思えた時、すこしずつ光が見えてくる。
結局、翌日に学童にいき、何にも問題なかったと言っていたけれど、その翌日はまた泣いて帰ってきた(笑)。
悩もう、息子。自分との向き合い方、友達との付き合い方の練習だね!!