スタッフミーティングより 22
【スタッフとのやりとり】
◆◆スタッフの感想◆◆
※上記、`Amebaブログ「10年越しのメッセージ 〜問題がおしえてくれること(2012年11月23日)」を読んでの感想
自分で立って歩いて呼吸しているだけでも奇跡であることをすっかり忘れることがある。そして無駄は無駄ではない。「私一人いなくても世の中変わらない」と何気なく呟いたら、優しい上司に怒られたことを思い出しました。
◆◆加藤院長からのコメント◆◆
ありがとうございます。
世の中に必要とされているから生きているのではなく(受動的思考、奴隷的思考、思考の主体が自分以外)現実的には、心臓が動いてくれているので、生かしていただいている。
生きたいという、自分の内側からの熱い気持ちがあり、 心臓がうごいてその奇跡的なチャンスを くれている。
このまたとないチャンスを、自分で活用する、謳歌する、享受する。
そのようにおもうと、いきている一瞬一瞬そのものが 本当に貴重な かけがえのない時間を感じる。
生きてやっている、と 受動的思考になると いきている一瞬一瞬そのものが、 暗く、活力なく、 エネルギーを失ってしまう。
同じ人生の時間なのに、地獄と天国のように時間の価値が変わるのは とてもおもしろいです。
このことは、職場の時間も同じで、必要とされるから働いているのか、 この職場で 働きたいから働くのかで 全く 時間の質が変わってしまいます。
しかも必要とされているから働く、必要とされていないならいたくない、という 仕事上の思考は、同じチームメンバーに とても重荷に感じさせ、 心に不快感を与えてしまうので、 優しい上司の方でも怒ってしまったのかもしれません。
宇宙に自分という存在は、自分だけで、このことは、自分という存在は、宇宙に比べるととても小さな存在ですが、逆をいえば、全宇宙に自分という存在は自分だけと考えると、宇宙に匹敵するほどの価値があるものの可能性を秘めている。この壮大なパラドックスの存在、その可能性を 人生においては踏まえるべきだとは考えます。
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